音風のTaiji ~Taiji in otokaze~

taiji
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Taiji復活、そして音風を結成

HIDEの葬儀後の時に再会した音楽関係者の協力を得て、告白本を出版し、2000年に「クラウドナイン」のメンバーとして復活したTaijiだったが、2003年に脳梗塞と肝臓のために再び入院した。そしてTaijiは、その入院中にある人と連絡をとり、その人が持ってきてくれた話がきっかけで新しく自分のバンドを結成した。

そのバンドの名前は、「音風」。音風のバンドメンバーはその時に集まれるメンバー達でやっていくといった自由なスタイルのバンドだった。バンドというよりむしろサークルのような、心の通っている音楽仲間だったようだ。Taijiは音風のバンドメンバーを「仲間たち」と紹介している。Taijiは、自分と同じような病気で苦しむ人たちを元気づける活動の場として「音風」をつくり、そして心穏やかに音を風に載せて届けたいという思いがあった。
Taiji直筆の音風のコンセプト。
自分と同じような病気の人達を勇気づけたいという気持ちが強かった。Taijiはもともと心根の優しい人だった。
 画像引用元:「GONブログ http://gon-bass-gon.seesaa.net

音風の活動

  • 2003年6月沢田泰司GONRIEKOにより結成。
  • 2003年8月 – 里村源多朗(GEN)佐藤英樹(HIDEKI)が加入
  • 2003年9月 – MASAYO(Taijiの妹)、furaniが加入し、7人体制となる。
  • 2003年12月12日-13日 – 音風男組として沢田泰司、GON、里村源多朗、佐藤英樹がhide Birthday Party~CLUB PSYENCE~に参加。
  • 2003年12月28日 – 目黒鹿鳴館で初ライブ「音風 ~otokaze~ まつり Vol 1」を開催
  • 2004年 – GON、RIEKOが脱退。藤本泰司が加入
  • 2004年11月20日 – 新宿MARZのライブにてアルバム「音風OTOKAZE」を発売。
  • 2005年 – 藤本泰司、佐藤英樹が脱退。HATSUSEが加入。
  • 2006年1月8日 – MASAYOが脱退。
  • 2012年7月17日 – 沢田泰司の一周忌イベントに参加。(参考:Wikipedia)
Taiji以外の音風の結成時のメンバーは、ギターがGENこと里村源多朗さん、ベースがGONさん、キーボードがfuraniさん、ドラムスがHIDEKIこと佐藤英樹さん、そしてボーカルは、Taijiの年の離れた実の妹のMAYO(沢田雅代)さん、RIEKOさんというメンバー。音風ではTaijiは、ギターとベースを担当した。

音風のことをインタビューで語るTaiji

FUZZという音楽サイトのスタジオインタビューでTaijiが詳しく音風について話している。Taijiが音楽について真剣に語っている。Taijiは、本当に音楽に対して真っ直ぐで純粋な人だったんだなぁと実感する。彼の頭の中は、音楽♪を創ることでいっぱい。本当に音楽を創るために生まれてきた人だと思う。この時のTaijiの年齢は38歳だが、声は相変わらずセクシーで自分の音楽やその他の様々な物事に対する考えを理路整然と話をしていて、話が上手いと思った。インタビュアーが上手にTaijiの話を引き出してくれていて、Taijiも話がしやすかったようだ。

(出典:YouTube)

GONさんの書いた「GONブログ」で、Taijiの入院中、GONさんがギタリストのGENさんとドラムのHIDEKIさんをTaijiに紹介し、後から運命的にfuraniさんと出会ってfuraniさんにキーボードとして加わってもらって音風を結成したという話が載っている。Taijiがインタビューで話していたバンドの話をもってきてくれた人物は、GONさんだ。

キーボードのfuraniさんのブログにもTaijiと偶然に出会い、音風で一緒に活動していたことが書かれている。以下で紹介したいと思う。

音風の楽曲

アルバム「音風OTOKAZE」(2004年11月20日)

  1. Get It Your Heart
  2. 取り戻そうよ
  3. Do It Yourself
  4. 百円玉の勇気
  5. 想い~ありがとう~
  6. 8月11日
  7. Dear Angel
  8. Get Your Dream

アルバム「音風」の中で、一番私が好きな曲は「WINDS 想い~ありがとう~」。

この曲は、作詞をTaijiがして、ボーカルもTaiji。XJapanの時のTaijiとは別人のTaijiの歌声。でも、元々Taijiは子供の時からフォークギターが好きで、フォークソングを作って歌ってみたかったらしい。この曲は、それまでのTaijiのイメージとあまりに違うので、聴くと驚く。Taijiは、自分を支えてくれているファンにこの言葉を一番伝えたかったらしい。

(出典:YouTube)

Taijiは唯一無二の優れたベーシストだったが、これを聞くとTaijiのギタリストとしての技術もすごかったんだなと思う。

静かな息遣いでとても繊細な感じでていねいにギターを弾いているTaijiの姿が見えるようだ。

2分30秒あたりから転調して、曲調がガラリと変わって明るい感じになる。

ラストは、また違う展開になっていくので聴いていて面白く、Taijiのギター演奏がとても素晴らしい。

(出典:YouTube)

👇2003年12月に開催された「音風」の鹿鳴館での初ライブ。TaijiがMCをしている。

(出典:YouTube)

Taijiの実の妹、ボーカリストSister MAYO

本名は、沢田雅世さん。2003年~2006年1月までは音風のボーカルをしていたが、その後は脱退してソロ活動をした。2009年頃「魔法戦隊マジレンジャー」などの特撮の戦隊ものの歌やアニメソングを多く歌って戦隊ものやアニソンの歌手として有名になる。キャッチコピーは、”暴言歌姫”。2011年、「カラテブラボーレコード」を設立とある。

(参考:Wikipedia)

Taijiとは年の離れた妹で、小さい頃からTaijiはとても可愛がっていたらしい。Taijiが「あいつは、いい奴だ」とブログに書いていた。帽子とサングラス?をかぶって歌っていたので、帽子かサングラスのどちらかを取れと言われ、サングラスを取ったらしい。なぜ帽子を目深にかぶっているのかというと「恥ずかしがり屋」だかららしい。恥ずかしがり屋な性格もTaijiと似てる( ´艸`)

ゴンちゃんのブログ

最初にTaijiの入院中に自由なスタイルの新しいバンドとして「音風」をやろうと話を持ちかけて、ギタリストGENとドラマーのHIDEKIを紹介したのがベーシストのGONという人だった。その後、Taijiが飲みにいった新宿のカールモールという店でピアノを弾いていた女性、furaniさんと出会い、彼女がキーボードをやることになった。furaniさんもご自身のブログを持っているので、彼女についても後でご紹介する。

GONさんは、Taijiがラウドネスを辞めた後、自分のバンドとして結成し活動していたD.T.Rでボーカルをしていた竹内光雄さんの弟のバンド仲間という縁でTaijiとつき合うようになった。GONさんは、D.T.Rの頃からバンドの打ち上げに参加したりして、Taijiと親しくつきあっていたようだ。(下に引用したGONさんのブログの中に小さい写真が載っているTaijiが2004年にバイク事故で足を怪我して長期で入院し、しばらく歩けなかった時にも音風のメンバーがTaijiを心身ともに支えてくれていた大切な仲間だということをGONさんのブログを読んで知った。

👇以下のメッセージは「GONブログ」(2011年7月28日)より引用させていただきました

(http://gon-bass-gon.seesaa.netより)

想い~ありがとう~

「ありがとうな」

今でもTAIJIさんの声が心の中で響いています・・・

(中略)

TAIJIさんの大ファンであり

憧れであり おこがましくも目標でした

以前、俺が活動していたバンドのVo,YOSHIOが、当時JOE-ERK・光雄アニィの実弟という事もあり
(光雄アニィには本当に沢山可愛がっていただきました)

そんな光雄アニィがTAIJIさんと組む

X脱退もLOUDNESS加入もTAIJIさんの軌跡全て衝撃だったのですが

TAIJIさんと光雄アニィがDTRというバンドを始める!

俺にとって目ん玉飛び出る程の大衝撃でした

そんな大恩ある光雄アニィの御縁からTAIJIさんを紹介して頂き

本当に本当に、憧れで、尊敬で・・・

TAIJIさん・光雄アニィのおかげで

更に藤本さん、ロジャーさん、清水さん、tomo君と御縁の輪も広がり

沢山勉強させて頂きました

TAIJIさんと1.jpg

TAIJIさん「Voが兄弟なら、ベースの俺達も兄弟だな」

そんな、冗談でも心臓飛び出しそうなくらい嬉しい言葉も言って頂いたり・・・

宴席で酔ったTAIJIさんを何度か背負って帰る際「ありがとな」と耳元で囁いて頂いたり・・・

よくツアー等で送りに行ってた羽田では、御一緒に天そば食べながら「いつか何かやろうな、お前が心配だ」なんて言葉かけて頂いたり・・・

TAIJIさんと2.jpg

本当に本当にイチTAIJIファンである俺は、TAIJIさんファン皆様からすれば、申し訳ない程超幸せ者でした・・・

 

信じていれば叶う

逢いたいと願えば逢える

よくある歌詞のような言葉も

本当に現実に起こる事なんだと

TAIJIさんのおかげで確信できました

その後私事で97年以降、音楽活動を休んでいた俺に一通のメールが来ました

——-
TAIJIさんより
2003 6/4 3:22
ごんちゃん、元気?俺は、今、酒をやめています。飲みたいけどね(笑)。
音楽活動の方はどうしてる?以前、聞いたごんちゃんの曲は、素晴らしかったよ。
今、どういう状況なのか知りたいと思ってメールしたよ。
俺の方もサウンド的には限り無く、ごんちゃんと通ずるものが幾つか出来上がっている。
ごんちゃんと音をつくりたいと思う今日このごろです。
一時ではなく、後世に残せるような曲をつくって、
音楽の素晴らしさを共鳴できたらなと思うんだけど、どうかな?
体調のほうは、大丈夫かい?少し心配だな。また、いつか会おうよ!
——-

俺が休止中にもTAIJIさんと数回お会いする機会があり、本を出版されたり、新たなバンドをされたりする反面、心身共に患われ病まれていた事も解っていたし、とても心配してた矢先だっただけに

直後、スッ飛んでTAIJIさんのもとへ向いました

闘病でボロボロになりながらも、必死にギターでコードを押さえ

TAIJIさんが「こんな曲が出来たんだよ」とその時はじめて「取り戻そうよ」を聴かせて頂きました

そして、それまでの辛い時間、心の闇、今後未来への希望と様々な内容の話を涙を浮かべながら沢山会話しました。

TAIJIさんのもう「音楽」じゃない「音我苦」はこりごりなんだという一言に・・・涙が止まりませんでした

この再会から 本当にTAIJIさんの安らげる「音楽の居場所」そして、同じ病に苦しむ方々を勇気付ける為の慰問をするような「活動の場所」

そんな御意向に俺も心の底から賛同し心穏やかに音を風に乗せて届けたいという理想を胸にTAIJIさんも、俺も、当時歌を歌ってくれたリエちゃんも支えて下さる全ての方々

そして応援してくれる大切なファンの皆様 そう、全ての関わる皆の居場所作りを始めました

その居場所こそ「音風」だったのです


やさしい心、想いやる心
素直な心、うれしい気持ち
来る人を拒むのはやめよう
皆に幸せが来るように祈ろう
世界中が幸せになるように
祈ろう、信じよう
信じ合う心を大切にしよう
どんな人も自分に意味があるんだ
白い心を持とう、まっ白い気持ちを大切に
今を大切に生きよう
今ある事に感謝しよう
大切な人をとても大切にしよう
新しい物の見方をしよう
新しい理解の仕方をしよう
新しい考え方を学ぼう
TAIJI筆音風コンセプト.jpg
音風のコンセプト・TAIJIさん直筆です
——

TAIJIさんは、必死に同じ過ちを繰り返さぬよう生き抜こうとしていました・・・

心身・心も肝臓も患うTAIJIさんと一つでも共有して痛みを知り力になれればと、この日から俺も一緒に酒を断ち、

受け入れ、受け止め、無償の愛で精一杯お供させて頂きました

当時、ギターを握る事も大変なくらい病まれていたTAIJIさん・・・

ギターを握る所からはじまり、日に日に取り戻していくTAIJIさんの姿に勇気を頂きました

まずは体力からと思い、毎日TAIJIさんの元へ作った料理やケーキを持って向い、食事をし、ギターを奏でました

王将餃子10人前を2人で食べた日もありました

「3日くらいに分けて食べて下さい」と里芋30個煮たのを持っていったら

次の日には「美味かった」と、全てたいらげて頂いた事もありました

TAIJIさんも必死に体力回復に全力を傾け頑張っていました

なにげない会話でも、普通に昔話ができるまで落ち着きを取り戻していく姿も感じてました

[とある日の何気ない会話]
—————
俺「DEAR LOSERメチャクチャかっこいいですよね、どうしたら俺もあんな名曲作れるようになれるかな~・・・」

TAIJIさん「あれは冬にコタツに入りながら水戸黄門見てて浮かんだんだよ」

俺「えええええ!!!!!」
—————
俺「Blue Bloodのリフは16分なんですか?」

TAIJIさん「Blue Bloodに限らずああいうフレーズは空ピッキング入れてでもトレモロで保つといいぞ」
—————
沢山の会話の中で驚きや勉強になった事いっぱいありますが、特に強烈に印象に残ってるエピソードです

 

もう、今生では会話も出来ないんですねTAIJIさん・・・

そして「音」に関しては

俺「TAIJIさん、こんなフレーズどう?」

TAIJIさん「お!いいねー」

どんな「音」に対しても笑顔で気をくばって頂きながら、全ての音を受け止めて頂きました

どんな「音」でもTAIJIさんは目をキラキラ輝かせ、純粋に「音」を追いかけていました

同じ曲でも、次の日にはまた新たな風が吹き込まれ、昨日とはまるで別のもの

日々進化する「音」溢れるイマジネーションに連日感嘆でした・・・

共作・協作、最初で最後になってしまったけど、ずっと詩が未完成で仕上がらなかった俺の曲に

TAIJIさんに詩をつけて頂いて「想い~ありがとう~」という曲もできました・・・

TAIJIさん「お互い、生きてたから出来上がった曲なんだな」

そんな言葉を頂き、感無量でした・・・

今思うと、TAIJIさんが詩を入れてくれるから保留しとけって、神様が差し向けてくれてたのかなと・・・

それからバンドの形でいつでも「音風」を出来るよう

当時仲良くしてたGENちゃん、HIDEKIをTAIJIさんに紹介し誘い

後にfuraniちゃんと運命的な出会いをし、MAYOが歌ってくれる事になりました

皆とても優しい素敵な仲間で、本当に無償の愛でTAIJIさんを支えて

「音風」という居場所にいつでも皆集い笑顔で音を風にしていました

「音風」は、もっと穏やかでのんびりできる活動のはずでしたが

TAIJIさんの影響力ある名前は、それすらも許されなかったと感じています・・・

 

今は当時TAIJIさんがベースを弾くまでに回復できた喜び・安心と

でも、最後まで支えきれなかった悔しさと申し訳なさで心からお詫びしたい気持ちと・・・

新たな事始める報告が、もうできないのと・・・

ずっとモヤモヤ複雑なまま、TAIJIさんは旅立ってしまいました・・・

TAIJIさん・・・天国でのんびりギター弾きながら

GENちゃん

HIDEKI

furaniちゃん

MAYO

TAIJIさんのファンの皆様

皆を天国から見守ってあげて下さい

そして

この笑顔の俺達を覚えていて下さいね

http://gon-bass-gon.up.n.seesaa.net/gon-bass-gon/image/TAIJIE38195E38293E381B8E99FB3E9A2A8E98194.jpg?d=a1

俺たちは何があろうと何を言われようと、絶対に御恩は忘れないし、ずっとあなたの味方です

「音風」は、ずっとあなたの居場所だよ、TAIJIさん・・・

031228音風.jpg

http://gon-bass-gon.up.n.seesaa.net/gon-bass-gon/image/IKEBEE6A5BDE599A8E382B5E382A4E383B3E4BC9A.jpg?d=a0

日本を代表する「X」「LOUDNESS」

YOSHIKIさん・樋口さんとリズム隊だった人物なんて

後にも先にもTAIJIさんしかいない・・・

何があろうと何を言われようと俺にとってあなたは本当に偉大な英雄です

「幾度も命を絶とうとしたけど、出来なかった・・・何が何でも生き抜く!」

「生き抜く!」TAIJIさんの口癖でした・・・本当に「不屈」な方でした

 

ニュースを知ったのが15日

亡くなったと聞いた17日はTAIJIさんの御霊を想いながらTAIJIさんの携わった曲を聴き、不忍池で月明かりと共に朝まで呑みました・・・

そして20日、渋谷の樋口さんのバー「MUROCK」にて3期LOUDNESSを御厚意で見せて頂きながら、とあるビックリするような友人と献杯してきました・・・やっぱりTAIJIさんかっこよかった

「MUROCK」にはまた近々行こうと思ってます・・・

15日は私事の、もう一度出発するという日記を書こうとしてた矢先だっただけに

改めて、TAIJIさんより頂いた全ての想いを込めなければと、戒める事ができました・・・

TAIJIさんから頂いた教え・学びを生かして俺も生き抜きます!

そのうち俺もそっちに行くので、またセッションして下さい

今生での御恩本当に感謝しています、一生TAIJIさんの微笑み忘れません・・・

TAIJIさん、ありがとう御座いました

天国でゆっくり休んでください、お疲れ様でした

「Voiceless Screaming」の音風バージョン。歌の入っていない、インストロメンタルだ。

(出典:YouTube)

furaniさんのブログ

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furani Blog(http://furani.seesaa.net)より引用

『Taijiさんと音風』 2011年07月19日

TAIJIこと沢田泰司さんが他界しました。

TAIJIさんと「音風」(おとかぜ)というバンドを一緒にやっていたのは2004年頃。

出会ったのは当時バイトでピアノ演奏をしていたカールモールという新宿のお店でした。

まだTAIJIさんは療養中で、杖がないと歩けない状態でした。
仲間と一緒に飲みにきて、おいてあるギターなどを触って、いました。
誰か楽器弾ける奴呼ぼう、セッションしようと言ってあちこち電話していましたがなかなか誰もつかまらず
ふと、よかったら一緒に演奏しないかと誘っていただき、ブルースか何か合わせました。

そして、話が合い、当時企画中だった音風にメンバーとして入らないかと誘ってもらったのです。

音風のライブハウスでのライブは2回ありました。目黒の鹿鳴館にて。
無名の私が参加するのは、ものすごく怖かったりもしました。
でも活動の中で、TAIJIさんの精神や体がすこしずつ回復して行くのもわかったし
困難を乗り越えて、みんなの中のひとりとして支えて行きたいと思って参加していました。
療養中のTAIJIさんはまだまだ精神的にも不安定だったので、色々なことがありましたが
周りのたくさんの人たちはみんな献身的でほんとうに素敵な人達ばかりでした。

それから、どんどん回復したTAIJIさん、杖なしでも歩けるようになって
はじめは指が思うように動いていないようだった演奏も、どんどん輝きが戻り、輝きが増し そのため、痛みや苦しみと戦う努力の過程も、少しだけですが、垣間見て、
ほんとうに凄いの一言でした。

音風は、メンバーチェンジなどもあり、活動休止状態になっていましたが
昨年TAIJIさんからきゅうに電話があり、(その頃はXと18年ぶりの共演も果たしていましたね)
電話で、また「必ず音風やろうな」と言っていました。

でも、それが実現されなかったことが残念で、信じられない気持ちです。

ベースのテクニックと、ロックな生き方に、本当にたくさんの人に愛されていても、
反骨精神や孤独をずっとかかえていたんでしょうか。
たびたびトラブルを起こしたり、あぶなっかしくて
でも時折すごく可愛らしいところを見せるのが印象的な人でした。

2008年にはTAIJIさんが関わったATTITUDEという映画の音楽制作も少しお手伝いしました。
この映画はロックの原点を追求する映画でしたが
TAIJIさんも最後までロックを追求していたと思います。
でも、まさか、こんなこととは。

「俺はホームレスまでやったから怖いものはない」
「俺にできたんだからfuraniちゃんにもきっとできるよ」
「男には女が必要なんだよ」
とか
TAIJIさんの言っていた言葉を色々と思い出しています。

ニュースを見てやっぱり動揺したけど、ひさしぶりに音風のGONちゃんと電話で話して、少し落ち着きました。

まだ思考がまとまってないうちに書いてしまったので、文章もまとまっていませんが
普段もやっぱり考えてしまってぼーっとすることもあって
何かあった?とか、心配をかけてしまったりもしていて
一応、大丈夫ですっていうことも兼ねて、書いておこうと思いました。

色々考えがまとまったら、また色々ブログに書きます。

あと、探したらなつかしい写真が出てきたので載せます。
渋谷の楽器屋さんのスペースでやった沢田泰司復活ライブの時のもの。

Taijiの中での音風の活動

Taijiの人生の中で音風の活動をしていた時はごくわずかな時間だったが、Taijiがバイク事故にあって歩けなくなった時にもTaijiを支えてくれる仲間で、その人たちに温かく見守られながら音風の活動をし、好きな音楽にたずさわることができて、とても幸せな時間だったと思う。

Taijiには戻れる場所がいくつもあった。

18年ぶりに日産スタジアムでのライブに出演したX Japan、樋口さんの追悼ライブに出演したラウドネス、音風、この後に結成するTaiji with HEVEN’S、TSP、D.T.R。

たとえ、ラウドネス以降の活動がXにいた頃の活動ほど目立つものでなかったとしてもTaijiにとって、自分の音楽を生み出すことができ、Taijiの生きた証を残すことができた大切な場所だったと思う。Taijiと音楽をともに創り、奏でることができた人たちの心の中にTaijiは鮮明な記憶を残し、ずっと生き続けるのだろう。

「音風」のアルバム8曲目の収録曲「GET YOUR DREAM」が流れている。

(出典:YouTube)

Taijiが自分をずっと支えてくれているファンに対して一番伝えたかった言葉が「ありがとう」だった。この曲はTaijiのファンに対しての愛にあふれている歌だ。

(出典:YouTube)

音風の解散後もTaijiは、Taiji with HEAVEN’S、TSPなど幾つかの自分のバンドを組み、熱意がこもっているロック活動をしていた。

Taijiの人生そのものがロックだった。

Taijiこそ本物のロッカー!!

(出典:YouTube)

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コメント

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