デビュー直後、よくテレビに出演していたXJapanのメンバー

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デビュー直前のやんちゃなX(ⅩJapan)のメンバー達

1988年10月18日名古屋ハートランドのライブ前に名古屋の中京テレビに初主演したXのメンバー。それ以前に「元気が出るテレビ」に企画もので出演していたが、正式にゲストとして出演したのはこれが最初だと思う。

この時、Xのメンバー達はテレビに初めての出演だったので、メンバー全員が出演前に緊張をほぐすためにすでにビールで酔っ払っていた。そのため、出てくると同時にYoshikiがCO2をスタジオの中に派手にまき散らしてしまった。この時のTaijiの酔っ払い方がすごくて面白い!可愛い( ´∀` )

この時にはもうすでにXのメジャーデビューが決まっていた。デビューを決めたのは、この少し前のVANISHING TOURが大成功したからだった。

(出典:YouTube)

↓VANISHING TOURのライブ風景。

デビュー前からのXファンの熱狂ぶりがすさまじい。今よりも男性ファンの割合が多かった。Xのメンバー達の立てた髪、Toshiの体育会系の独特のあおり、Taijiの火吹き、Yoshikiのドラム破壊、そして何より魂を刺激する音楽を奏でていて、過激で危うい感じの魅力にあふれていたので、多くの若いファンを惹きつけていた。

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中京テレビに初出演した日の名古屋のハートランドというライブハウスでのライブは、相当盛り上がったらしい。

この日のセットリスト1曲目は、DEAR LOSER、そして2曲目  VANISHING LOVE、3曲目はSadistic Desire・・・と当時の定番のナンバーが続いてる

↓ハートランドでのライブ後に再び中京テレビにYoshikiとToshl の2人だけが出演。その時、久本雅美と一緒に出演したYoshikとToshi。久本にYoshikiがつっこまれて、タジタジ。こんなにうろたえてしまうYoshikiを見ているのが楽しい。( ´∀` )

(出典:YouTube)

テレビ出演の前、1988年4月にラジオに出演していたX.「VANISHING VISION」の発売日直前に出演した。TAIJIやHIDEが作曲していた時代だったので、Yoshikiが2人も作曲していたことを話してる。YoshikiとHIDEのトークがかなり面白い?

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デビュー当時、毎日のようにテレビに出ていたXメンバー

X(XJapan)がデビューした頃には歌番組が多かったので、テレビからバンドの活動情報を知ることができた。インターネットがまだ一般家庭に普及してない頃だったので、よけいにテレビ出演の多さがバンドの人気と結びついていたと思う。

1989年、月曜日にやっていた歌番組トップテンに「紅」が10位にランクインし、Xが初登場した。

バンド名「X」の由来をきかれ、「未知の可能性をもつというバンドということでX」とToshiが真面目に答えてた。この時代にかなり偏見の目で見られていた、ヘヴィメタバンドということで、バカにした態度の司会者2人。でもこの一年後、Xが武道館でライブをした頃から世の中のXを見る態度が豹変した。

Yoshiki、HIDE、Taijiの目つきが鋭い( ´∀` )司会に怒っていたよね? 尖っていた、この頃の若いXのメンバー達。すごくみんなカッコイイなぁ。
5:25 Taijiが移動した時にHIDEに完全にかぶってしまったので、”ぴょん”と飛び跳ねて場所を変えてるのが可愛い( ´∀` )?
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(出典:YouTube)

1989年「爆風スランプのお店」という番組に何度も出演し、「紅」や「BLUE BLOOD」「Endless Rain」を生演奏したX(XJapan)。

TaijiもHIDEもパフォーマンスがキレキレで、すごくかっこいい。

(出典:YouTube)

「BLUE BLOOD」をテレビで生演奏してたのを見れたなんて、贅沢な時代だった。

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この時の「Endless Rain」の演奏ではTaijiのベースの音がとても聞き取りやすい。2:07~Toshiが英語でセリフを言っている後ろでTaijiの奏でるベースのメロディーが美しく響き渡っている。

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?「キラリ熱々倶楽部」という番組に出演したX(XJapan)のメンバー。

この頃、基本的にインタビューに答えるのはYoshikiとToshiで、弦楽器隊の3人は後で黙って座ってることが多かった。でも、この時のPATAはモヒカン刈りの頭を揺らして思いっきり笑ったり、紹介されると「はい、そうです。」とか言って愛想よく答えている。

それを見てHIDEがPATAをにらんで「俺たちはロッカーなんだから、イメージ壊すなよな!」と言わんばかりにけん制してる。( ´∀` )

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この時、「今日はYoshikiだけがなぜいないの?」と理由をきかれても、Xメンバー全員が「さあ」と適当な反応。この前にXメンバー達は、初めてニューヨークやロサンゼルスなどアメリカの都市を旅した。

様々な刺激を受けてますますカッコ良さを増すメンバー達。(この初めてアメリカを旅行した映像は、Xの「刺激」の中に収録されている。この時、Yoshikiだけが撮影のためにフランスに行っていた。)

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1989年デビューしてすぐに人気バンドになったX。

デビューして半年後、テレビでX特番が組まれ、「刺激!VISUAL SHOCK」の映像やXメンバー達がインタビューに答えるシーンが流れた。

(出典:YouTube)

?1989年12月、レコード大賞最優秀新人賞を受賞した時の映像。

Yoshikiは療養中のため、Toshi、HIDE、PATA、Taijiの4人で授賞式に出席。Toshiの母親、親戚のおじさん、そのお仲間というようにToshiの身内ばかりが応援に駆け付けていた。
 嬉しそうに賞金を受け取るTaijiがめちゃくちゃ可愛い。

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?Yoshikiの体調が回復したことを祝って乾杯するⅩのメンバー達。(トップテンでの一場面)

HIDEが優しくお母さんのような口調で「この子もこんなに元気になりました」って言っているのを聞くとホッと安心する。本当にHIDEってⅩのバンドの中でお母さん的な存在感があったなぁとつくづく実感する。そして、Xの末っ子、弟的存在のTaijiが元気いっぱいに「乾杯!!」って言っているのを聞いてると、やっぱりこれだよね( ´∀` )って嬉しくなる。

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デビューから1年後の1990年2月にX(XJapan)は、武道館でライブができるほどの人気バンドになっていた。

トップテンで生中継出演時の映像。

スタジオの代わりに勝どきのタイ料理レストランを貸切にして機材を置いた。

この頃Toshiがアルフィーの坂崎幸之助さんに誘われて、坂崎さんのソロのアコースティックライブにゲスト出演した。この時にはハードロックバンドのボーカリストなのに、フォークギターの曲を好きと言うのは都合が悪いと思ったからか、あるいはあまり堂々と言いたくなかったのか、Toshiは控えめに話していて、あまり積極的に坂崎さんのソロコンサートへの参加をアピールしていなかった。

この頃からToshiはソロでも活動できるほどの歌唱力があり、まわりからも定評があった。

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↓5時SATマガジンで、今後のXの運勢を占うというコーナー。

「WEEK END」のプロモーションビデオを見ながら撮影時のことを仲良く2人で話す、YoshikiとToshi。

Yoshikiは、PVの撮影で紅い血の海に沈んでいく演技をした時、鼻や耳などのあちこちから赤い水が入ってきてしまって、撮影後、鼻をかんでもずっと紅い水が出続けてたらしい。そしてToshlは「死」が似合わないので、PVの中で死なないことになったそうだ。

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5時SATAマガジン主催の野外フェスに出演した時の映像。この野外ライブにXは2年連続で出演した。

Yoshikiが意気込みを身体で表現するためにダッシュすると、Yoshikiにつき合ってToshiも走り出して2人で仲良く会場のまわりを走ってた( ´∀` )。Taijiは、巻き込まれないように2人が来ると、ササッとよけてる。

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1990年2月、デビューから一年経たないうちに武道館ライブを成功させ、その後また5月に武道館ライブ、大阪城ホールなど大きな会場でライブをしていた。この番組に出演していたTHE PRIVATESというバンドが2月の武道館ライブをキャンセルしなければならなかったことから、急遽、Xがその日の予約を下取り(?)してライブをすることになったらしい。

「誰がわがまま?」と訊かれ、Yoshikiの真後ろから指さすTaiji、さすが。

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アルバム「Jealousy」のレコーディングで半年以上姿を消していたXが復活!

1990年11月末から渡米し、長期のレコーディングをしていたX(XJapan)メンバー達が、1991年5月、長い沈黙を破ってメディアの前に姿を現し、合同記者会見を行なった。そして、6月始めに約半年ぶりに日本に帰国。帰国後、仙台のJTのライブイベントでX復活。

その後、新潟産業教育センター(昔、HIDEが中継で嚙み噛みになりながらアナウンスしていた場所です。)を皮切りに”Violence in Jealousy Tour”が始まった。

(出典:YouTube)

JOKER(0:35~)Desperate Angel (10:00~)のPVがカッコ良すぎて何度見ても見たくなる。

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アルバム「Jealousy」の制作について語っている。

「Jealousy」のレコーディングの時、YoshikiとToshiが体調を崩した。Toshiは、この時に喉を痛めてしまってしばらくの間、声が出せなかった。Toshiの代わりにTaijiが制作について話してる。

「Voiceless Screaming」のレコーディング後、TaijiがToshiの歌を褒めたたえてあげたらしい。優しいな、Taiji。TaijiとToshiは、本当に仲良しでいいコンビだった。
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「Jealousy」のレコーディングを終えて日本に帰国した直後のHIDEとToshi。レコーディングについて訊かれたToshiは「つらかった」とストレートに言っている。このテレビ出演の3日前までToshiは声が出なかったらしい。YoshikiとToshiが体調をくずしたために2カ月間レコーディングができなかったが、その分メンバー達の結束は強くなったらしい。

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7か月もの長期にわたってレコーディングのためにXのメンバー5人でロサンゼルスで共同生活をしていた。この時、食事作るのはHIDEとTaijiがやっていたらしい。Yoshikiがニコ生放送で楽しそうにToshlに話していた。

1991年10月29日に開催されたエクスタシーサミット。

「Jealousy」のリリース後のX(ⅩJapan)は、さらにパワーアップして異常なまでのカッコ良さがあった。特にTaijiとHIDEの表現力、魅力は今見ても圧倒的なものを感じる。

イントロでのHIDEのダンス、腰を振りながらTaijiのベースを弾く姿、PATAのHIDEとぴったりと息を合わせてならんでギターを弾いてる姿があまりにもカッコ良すぎるので何度も見てしまう。

曲のラストの方でTaijiがYoshikiの近くに行って、2人でリズムを合わせている場面を見ると、熱いものがこみ上げてくる。

(出典:YouTube)

この頃YoshikiとTaijiの仲は、相当こじれていたのかもしれない。でも、この1991年のエクスタシーサミットでの「X」の演奏を見ると、2人はぶつかり合いながらもいっしょに良いものを創り出していた盟友だったと思える。

いろいろあったけど、最後はTaijiがYoshikiと仲直りできて良かった。

XJapanのメンバー、YoshikiとToshi、HIDEとTaijiが天から降りてきて、また一緒にステージに出るから、また仲良くライブで演奏する姿を見せてねー!!

  We are X!!

 

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