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XJAPANのYoshikiとGLAYの絆
GLAYをプロデュースしてデビューさせたのは、Yoshikiだ。GLAYのデビュー曲の「RAIN」を手がけたのもYoshikiだ。それだけYoshikiとGLAYとの関係はとても深い。
2015年、GLAYは、デビュー20周年を迎えた。そして、その時にYoshikiは東京ドームのGLAYのデビュー20周年記念ライブに出演した。
(出典:YouTube)
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GLAYとYoshiki、師弟関係の共演に東京ドームはものすごい歓声で揺れた。YoshikiはGLAYのメンバーの生みの親。GLAYのメンバーを見るYoshikiの目が優しさに包まれていた。
そしてギタリストのTAKUROのギターは、SUGIZOのギターだ。GLAYとXJAPAN、LUNASEAとの結束、絆はとても固い。元祖ビジュアル系バンドの絆で結ばれている。
GLayとYoshikiとの初対面は、Yoshikiが自らライブハウスまで足を運んでGLAYのライブを観に行き、その後GLAYのメンバーをエクスタシーレコードの東京事務所に呼んだ。
Yoshikiというネームバリューのある大物アーティストにピアニストとして加わってもらうというアイデアをTAKUROは思いついたのだ。その当時、まだGLAYはライブで150人くらいのファンしか集められなかったため、メジャーでデビューして簡単に売れると思わなかったからだ。このTAKUROのアイデアが功を奏して、見事にGLAYは華やかなデビューを飾った。
GLAYがエクスタシーの事務所にその後、出入りするようになってから、GLAYへの指導係は、TOSHIの役目となった。そして、hideも彼らに音楽のことをはじめとする様々なことを教えてくれるようになった。
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YoshikiとTERU
?ルナティックフェスタ(ルナフェス)2018では、Yoshikiがソロで出演してステージを盛り上げた。その時にGLAYのTERUが登場し「SAY Anything」を歌った。そして、、SUGIZOはバイオリンを弾いた。
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SUGIZOとTAKURO
GLAYの大ヒット曲「However」の誕生秘話。
TAKUROは、昔よくSUGIZOの家に入り浸っていたらしい。SUGIZOもTAKUROの家に遊びに来ていたらしい。TAKUROがSUGIZOに「親友って呼んでいいですか?」と訊いてみたら、SUGIZOは、「何言ってるんだよ。もう何年も前から親友じゃないか!」と答えたらしい。TAKUROはこれを聞いて、涙が出るほど嬉しかったらしい。
TAKUROにとってSUGIZOはいろいろ音楽のことを教えてくれる先輩なので、その先輩が同じ立場で自分を見てくれていると感じたことで、2人の距離は縮まった気持ちがしただろう。
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デビューして以来、GLAYは1990年代に大ヒット曲を飛ばし続けた。大ヒットの代表曲に「BELOVED」「HOWEVER」がある。
GLAYはYoshikiが「君たち、いけると思う」と言った通り、10万人コンサート開催をできるほどの人気バンドになった。このGLAYのメンバーは高校時代にバンドを組んで以来、30年以上も一緒にバンド活動をし続けてきているメンバーだ。今だにライブが終わるとすぐ飲むらしい。
GLAYのメンバーがなぜこれほど仲が良いのか、良い人間関係をキープしている秘訣を聞きたい。
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