X Japanの超絶イケメンベーシストTaijiの波乱万丈の人生

taiji
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天才ミュージシャンX Japan Taiji(沢田泰司)の伝説

X Japan~ラウドネスで活躍した天才ベーシストTaiji(沢田泰司)の魅力を思いっきり語っちゃう。
Taijiこと沢田泰司は、X Japan(当時は、X)のメンバーとしてYoshiki、Toshiに続いて、3人目のメンバーとしてインディーズ時代からYoshiki、Toshi、Hide、PATAとともに初期のX Japanを立ち上げた創設時のオリジナルメンバー。しかも作曲・編曲を手掛けた主要メンバーだ。

            photo credit: vltepes X Japan via photopin (license)

少年時代のTaiji

生年月日:1966年7月12日 血液型A 沢田家の2男(兄1人妹1人の3人兄弟の真ん中)8歳年齢の離れた妹の雅世はアニメソングの歌手「Sister MAYO」。      (写真出典:Xうぃき)

ギターをよく弾いていた父親の影響で小学校2年生でギターを弾き始め、初めてギターに触れてから4か月後には「禁じられた遊び」をクラスメイトの前で披露。小学校時代は松田聖子が好きだった。初めて買ったレコードは野口五郎。それを本人は隠してる・・( ´艸`)

小学校時代に病院に入院した時に同じ病室のお兄ちゃんが洋楽を聴いていたことから影響を受け、洋楽を聴き始めた。

高校進学をしてからは、アイアンメイデン、ディープパープルなど洋楽をはじめ、子供バンドやラウドネスなどジャパニーズロックも聴いてコピーするようになる毎日ひたすらギターを練習し続けていた。そして入学して半年で「プロのミュージシャンになる」と決意し、「学業を卒業する」ことを理由に高校を中退

TaijiがXに加入した理由

もともと初めからTaijiとYoshikiの音楽性は、かなり違っていた。

Yoshiki が凄腕のTaijiのベースの才能に惚れ込み、「XにはTaijiのベースが必要だ」と思ったため、かなり熱心にXに誘ってきたらしい。

ちょうど当時、Taijiは「ディメンシア」というバンドで、ベーシストがいなかったためギターリストからベーシストに転身し、ベースの魅力にハマっていた。その後、ディメンシアを脱退し、フリーになった。

その時に一番熱心に(しつこく?)強引に誘ってきたのがYoshikiだ。TaijiはXというバンドに入りたかったわけでなく、Yoshikiの持つ無限の可能性に賭けてみようと思ったらしい。

Xに加入した理由は、HIDEと同じだ。HIDEも「Yoshikiと遊びたかったから。Xをひっかきまわして」と言っていた。

さらに憧れの存在だったHideがTaijiの加入とほぼ同時期にXに加入したのも大きな理由の一つだった。ⅩJAPANがインディーズだった時代(X時代)は、メンバーチェンジが相当激しかった。YoshikiとTOSHIの2人だけになった時もあったらしい。その頃すでにHideのバンド、サーベルタイガーはインディーズの人気バンドで、リーダーのHideは、スター的存在だった。

(出典:YouTube)

X のアレンジャー、サウンドプロデューサーだったTaiji

TaijiはYoshikiが作った曲が売れるようにするためにYoshikの曲は歌謡曲になりがちだったので、それをカッコよくアメリカンロックテイストにアレンジした。

Taijiは、初期X Japan(X)でアレンジャー、サウンドプロデューサーとして大きく貢献し、名曲「X」や「紅」をHIDEと共にアレンジし大ヒット曲にした

(出典:YouTube)

XJapanのⅩ時代にアルバム制作に大きく貢献した、作曲家としてのTaiji

XJapanがXの時代に初めて出した、インディーズ時代のアルバム「Vanishing Vision」にもTaijiが作曲した曲が入っている。1曲目の「Dear Loser」、3曲目の「Phantom of Guilt」、そして5曲目のHIDEと共作した「GIVE ME THE PLEASURE」だ。

(出典:YouTube)

Taijiは、突然に曲が浮かんできたり、天から降りてくるように聞こえてくることがあったらしい。ある時、電車の中で突然ひらめいて、ギターを弾き出し始めて周りから白い目で見られているのも気にせずに夢中になって曲を作っていた。XJapanメンバーもこれにはちょっとびっくりしたらしい。

「Dear Loser」は、Taijiが家のこたつでミカンを食べながら「水戸黄門」を見ていて、あの最後に流れるエンディングテーマを聴いていた時、突然ひらめいて作った曲らしい。

(出典:YouTube)

1992年1月5~7日、東京ドームでの3DAYSライブ「破滅に向かって」の2日目の動画。この日のライブの1曲目はTaijiの曲「Dear Loser」

3DAYS最終日の1月7日はTaijiのラストライブだ。

(出典:YouTube)

次の映像で、TaijiとX Japanのメンバーが「BlueBlood」の制作について語っている。Taijiはアルバム制作も中心となって重要な役割を担っていた。

(出典:YouTube)

Xのデビュー当時のTaijiは、誰の目から見ても異常なほどのカッコ良さだった。

その後もかっこ良かったけど。

デビューから約1年後のX Japan(X)の「ROSE&BLOOD TOUR」の武道館ライブ。

「BLUE BOOD」は初期のX Japanでライブの1曲目とかでやっていた定番の曲。弦楽器隊3人のカッコ良さがものすごい際立っている。

1:10~TaijiとHIDEがコーラスを入れながら2人で指さす振り付けをしててかっこいい。

2:45~特に弦楽器隊の3人がかっこいい。Taijiがアップで見られる。

(出典:YouTube)

今はXJapanのライブで演奏されることがない幻の名曲「Rose Of Pain」でのTAIJIのベースソロのすごさ

※アコースティックバージョンは2009年5月2日のX Japan WORLD Tour in Tokyo~攻撃続行中~で最後に演奏された。

Xの曲の中でもクラシックとの融合が最も顕著な名曲(バッハのフーガ ト短調が要所要所で使われている。パイプオルガンの音から曲が始まる)。

6:00~ここから曲のテンポが急に速くなり、疾走感があってかっこいい。

7:47~Taijiの神のようなタッピングに注目。鳥肌が立つほど異常なまでにカッコ良く圧巻。

(出典:YouTube)

実際のTaijiの血液型はA型って本当?

初めプロフィールにはB型と間違えて載せられていた。しかし、それも無理はない。Taiji本人もアメリカの病院で血液検査を受けるまでB型だと信じこんでたらしい。

ボソッと「暴力反対。」と言うTaijiに思わず笑っちゃう( ´∀` )。

(出典:YouTube)

X時代の3枚目のアルバム「Jealousy」の中で際立つ、TAIJIの作曲家としての才能

1986年~1992年までのTaijiのいたX時代にYoshikiとHideの創る作品とは違う方向性のアメリカンで男っぽく骨太な作品を生み出してXのアルバムにバリエーションと重みを与えた。

(Xに新たな可能性を持ちこむのは自分だ、という意識もある?) それは、目茶苦茶あります。”俺がやらずに誰がやる!”みたいな(笑)。多分、今度のアルバムの中に俺の曲が入ったら、それがYOSHIKIの曲でもHIDEの曲でもないことは、聴いた人にはきっとすぐにわかるだろうと思う。Taiji  (引用元:twitter.com/TAIJI_X_bot)

Ⅹの3rdアルバム『Jealousy』のTaijiのバラード作品「Desparete Angel」それまでのXには無かった雄大さや、ミドルテンポのリズムでXに新たな魅力を加えた。
『Jealousy』中に収められている「Voiceless Screaming」Yoshikiのバラードと違った、哀愁の漂う美しいメロディ―で繊細な曲。Taijiの心に中にある、とても繊細で壊れやすい側面が曲に表れているようだ。

TAIJIとToshiの2人で作ったX時代の名曲、「Voiceless Screaming」と「DespareteAngel」

「DespareteAngel」「Voiceless Screaming」は、作詞:Toshi、作曲:Taijiの曲
↓「DespareteAngel」はTAIJIらしい、ノリノリのLAメタル。

(出典:YouTube)

↓ToshiとTaijiで作った「Voiceless Screaming」。

X JAPANのバラード曲の中で隠れた名曲としてファンに知られている曲。

(”PATA’s Nap”「White Wind」 ~「Voiceless Screaming」

天才ベーシストで、さらにギタリストとしてもかなりの腕前だったTaiji

Taijiは天才ベーシストTaijiはベースを弾くにあたり「歌うベース」を目指していた。

Xに加入する前に「ディメンシア」に入る時に「お前ベーシストやってくれよ」と言われ、その時に初めてベースプレイのカッコ良さを知る。そしてその後はベースにハマり、ベーシストに転向することにした。

Taijiの名言

弦が4本しかないから楽だって思うのはとんでもないことだよ。俺も最初はそう思ってたんだけど。ー TAIJI

1988年7月。メジャーデビュー前のTaiji(21歳)この時、すでにTaijiはプロ並みの腕前。カメラの前でアップのTaijiを見れる。

この時、HIDEが始めたのをきっかけにして”初めてのX ジャンプ”をした。

(出典:YouTube)

1989年2月渋谷公会堂でのライブ。デビュー直前の爆発寸前GIG。

1:51~TaijiがHIDEのマイクに移動してくると後ろから満面笑顔のHIDEが駆け寄ってくる。そして2人で寄り添い、仲良くコーラス♪

2:15~Taijiのソロがキマってる。ドヤ顔のTaijiが最高!(でも、実はTaijiは前夜緊張のあまり眠れなかったらしい)

(出典:YouTube)

仙台フォーラムモーニングムーンでのライブからの1年後、1989年4月21日、Xはデビューしてから再び仙台でR&Rオリンピックに出演。

2:35~TOSHIのあとから花道に飛び出して行き、回転しながら颯爽とカッコ良くベースを弾くTaiji。このパフォーマンスをするために相当な練習をしてたのだろう。

Yoshikiがライブの時にTaijiとHIDEの死後に彼らを偲んでこの映像をいつも流している。Yoshikiにとってデビューした当時のXの思い出深いライブなのだろう。

(出典:YouTube)

1992年1月5・6日のXを脱退する直前のTaiji。

プロの貫禄が出て、この頃のカウボーイファッションがすごくよく似合っている。メジャーデビュー前のような勢いがなくなっているが、クールな感じがすごく格好いい。

(出典:YouTube)

?渋谷公会堂ライブの時の「Easy Fight Rambling」のソロのTaijiとは別人に思えるほど変わったが、この時のタイジもカッコイイ。この時のTaijiは東京ドームライブ後にXの脱退が決まっていたため、とてもクールな感じがする。

(出典:YouTube)

Taijiはギタリストとしても、ものすごい腕前を持っていた。

ギタリストとしてもHIDEやPATA以上の技術があり、2人からもその実力を認められていた「Voiceless Screaming」のアコースティックギターはTaijiとPATAで弾いている。Hideは「自分には弾けない」と言い、PATAは「タイジほど上手くは弾けない」と言ったらしい。

技術的に弾けなかったわけではなかったようだがHIDEが「俺には弾けない」と言い、 PATAは「Taijiのようには上手く弾けない」と言っていたらしい。 その理由は、、、

Taijiがこの曲を長い時間をかけて生み出したため、生みの親であるTaijiでないと曲の本的な部分が伝わらないと思ってHideもPATAも「Taijiのほどに上手く弾けない」と言っていたようだ。

ライブではPATAも一緒にアコースティックギターを弾いていたが、レコーディングではTaijiが一人で弾いた。

日清パワーステーション「静かなX」より

仲の良かったPATAとTaijiの漫才のようなやり取りが見ていて可愛くて和む。( ´∀` )

(出典:YouTube)
Taijiは、ラウドネス加入前にセッションオーディションに参加した時にベースでなくギターをプレイした。天才ギタリストの高崎晃でさえも、うならせたという。
?X時代のライブで「大魔神5人組」と称して、メンバーがいつもとは違うパートを担当して演奏。Taijiがエレキギターを弾いている姿を見ることができる貴重な映像。 

困難を乗り越えていくガッツにあふれていたTaiji 

インタビューで「ベーシストは、ヒーローになりにくいんじゃ」と質問されたのに対し、

Taiji「そこなんですよ。ただ、困難だからこそ、チャレンジをしたいという気持ちも高まってくるしだけど、それだけを目指しているわけじゃないから…。“内容の伴わないヒーロー”なんて、絶対になりたいと思わないし、ヒーローが下手だったら、カッコ悪いからね。」 

 困難だからこそ、チャレンジしたいという気持ちをTaijiはいつも持っていた。
 
もともとTaijiには、右手の中指を小さい頃の事故で怪我して第一関節から指先までしかなかった。それにもかかわらず、あれだけの神がかったベーシストになり、そしてギターまで凄腕の実力だったことを想うと、Taijiは自分自身の可能性を引き出すために最大限に努力をして切り開いていく、男前でガッツのあるだった。
?Taijiの名言②

一番じゃなかったら二番も百番も一緒だよ。 – TAIJI

?この動画ではTaijiが楽屋でただひたすらにタッピングの練習をしている姿が見られる神がかった演奏ができるようになったのは、Taijiが見えないところで相当な努力をしていたからだ。

(出典:YouTube)

?かなり真面目に音楽に取り組んでいたTaiji。アルバムの制作時もこだわりが強いために自分の意見をはっきりと言っていたらしい。

(出典:YouTube)

?オープニングからTaijiの凄腕のベーステクが見られる曲、”Give me The pleasure”。

(出典:YouTube)

X Japanのメンバーから見たTaiji

Xにいた時代にTaijiはToshiから「クリスタルのように輝いているXの水晶米。噛めば噛むほど味が出る」と言われた。特にTOSHIとTaijiは大の仲良しだった。TOSHIは真っ直ぐでホンネを言えるTaijiを高く評価していた。

HIDEは、Taijiを一言で言い表すなら、「男だーっ!」という一文字がぴったりと言っている。Yoshiki は、Taijiを「てやんでえ!」と表現。
Yoshikiによれば、Taijiはお風呂屋で「よーにいちゃん!」と言いながら話しかけてくるキャラらしい。( ´艸`)そしてクールに見えて、実は人情深い言っている。
Xの中でも存在感が大きく、ギタリストと同じくらいに華やかで実力のあるメンバーだったTaiji。初期のXの衣装も廃材などを利用したりしてTaijiがToshlと協力して作っていた。
「YoshikiとTaijiの深い絆」X Japan YoshikiとTaijiの深い絆
「TaijiとTOSHIの兄弟のような絆」TaijiとToshiの兄弟のような深い絆
「TaijiとHIDEの友情の絆」X JapanのHideとTaijiの友情の絆

?「シンデレラ」のストーリーをアレンジしてXが大好きな女の子を優しい魔法使いのおばあさん、いや、お兄さん(HIDE兄)がXのパーティーに誘う(行ってみたい?)・・カッコイイという言葉以外には何も出てこないくらい、Taijiがカッコよくて楽しいPV

(出典:YouTube)

Taijiは、とても器用で、Toshiの衣装にパイプをくっつけて派手なものにしたりなど、いろいろな素材を見つけては衣装に縫いつけてデコっていたらしい。そんな衣装づくりをインディーズ時代にTaijiとTOSHIの2人で夜中までやっていたとToshiがインタビューで話している。
タイジは手先が器用だったので、(衣装は)自分で材料を買ってきてよく作ってましたよ。あのガンダムみたいな衣装も、タイジの部屋で2人で徹夜で作ったんです。僕は不器用だから全然できなくて、タイジに教わりながら手伝いをちょこちょこやってました。 – TOSHI

Taijiと家族の関係

Taijiの両親はTaijiが中学生になると離婚、その後Taijiは再婚した母親についていった。

この頃からTaijiはグレていき、「中学3年までの間にバイク、女、シンナーの類は全てやった」と話していた。しかし、本当は優しい性格のTaijiは心の中で母親に対して自分が心配かけていることを気にしていたらしい。そんなTaijiの気持ちがわかるインタビューを見つけた。

?1991年8月、初の東京ドーム公演の後に「おはよう、ナイスデイ」の東海林さんのインタビューで自分の家族のことを話しているTaiji。

Taijiは東海林さんが母親のような雰囲気があり親しみがもてたので母親や家族のことを話しやすかったのだろう。4:50~6:15 Taijiがインタビューに答えている。

Taijiは「(親に)ずいぶん迷惑かけましたからね。」と話していた。

この頃はTaijiに子供ができた頃なのだろうか?TaijiはⅩJapan(X)のデビュー直後に結婚していた。Taijiは19歳の頃、両親とけんかし、家出して疎遠になっていたが、1990年Taijiが伝説のソロを披露した武道館ライブに両親を招待して和解したらしい。
Taijiは母親から「好きなことやれ。そのかわり自分で全部やれ。」と言われていたらしい。近所の人から「あそこのうちの子は何やっているんだろうね?」と母親が言われていたことを気にしてたTaiji。

(出典:YouTube)

Taijiも世間体を気にしていたんだなぁと思った。基本的にTaijiは優しい性格なので、自分が大人になって母親の気持ちがわかったのだろう。

XJAPAN Yoshikiから、クビを言い渡されたTaiji

1991年12月31日XJapanの紅白歌合戦初出演の直後、TaijiはYoshikiから目黒の小さなバーに呼び出され、クビを言い渡される。
 1992年1月31日、TaijiがXを脱退。
1992年1月5、6、7日の3days東京ドーム公演でのTaijiは、Xでのラストライブということで哀しさと悔しさがこみあげてTaijiはずっとクールな表情だった。
最期の方は泣いていた。突然の解雇に、そりゃ泣きたくもなるだろう。
ライブ中に何度も「何でだよ~!」とTaijiがつぶやいていたらしい。

(出典:YouTube)

PATA、Toshiなど他のXjapan メンバーもTaijiの脱退を悲しみ、3日目(1992年1月7日)のライブでは思いっきり泣いていた。PATAが感情をさらけ出しているところを見ることは珍しいので、泣いているPATAを見て私はすごく驚いた。

ToshiとPATAは、Taijiが抜けてしまう寂しさでステージ上で泣いていたそしてTaijiをクビにしたYoshikiまでも泣いていたTaijiのことで泣いていたのかはわからない。自分がクビにしたとはいえYoshikiも辛かったのか?と思える。
Taijiの死後にTaijiをクビにしたことが正しかったのかは今でもわからないと言っている。インディーズ時代から長い間ずっと苦楽を共にしてきた、家族と同じである大切なメンバーをクビ切ったのだから辛くないわけがないかもしれない。

 おそらく、Yoshikiにとっても身を切るほどの苦しい決断だったのだろう

Hideは、ライブ中は涙をこらえていたが、ライブ後にエレベーターの中で号泣していたらしい。このことをTaijiはHideの亡骸を目にした時に聞いた。

ToshiはTaijiを気づかって、ライブ中、何度もTaijiの近くに行った。優しいToshiはTaijiの耳元で「大丈夫?」と気づかっていた。          

?Taijiの名言③

 親友って呼べる友だちがひとりいたらその人は幸せだと思う。 – TAIJI

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Toshiはベースソロのある曲になると「オン ベース タイジ~!!」と何度もTaijiの名前を呼んでいた。Taijiのことを大好きだったToshiは、Taijiが脱退することが相当悲しかっただろう。

Taijiのラストライブになる「破滅に向かって~東京ドーム3Daysライブ」の収録DVDは3日目のもの。これを見ると、Taijiがすごく悲しそうに見える。

それはそうだ。Taijiは1990年5月大阪城ホールでの公演後の打ち上げで「俺はこのバンド(X)で死にます!」と男泣きしながら言っていたのだから。

            (画像引用元:pinterest https://www.pinterest.com)

じゃあ現在、他の4人をどう思ってるんですか?
タイジ:もう本当に戦友だよ。こうなっちゃうともう戦友。俺ね、大阪城ホールの時『俺は特攻隊長かな』みたいなね(笑)、そういう風にさえ思えたもん
もう自分の身体なんかいくら投げ出したっていいや、みたいな?
タイジ:うん、なった!

TAIJI:温かいの。メンバーが凄く温かいの、メンバーの出す空気が。前はいろいろ冷たく感じたりもしたことあるけど。今は温かいの。

?「破滅に向かって」~3Days東京ドームライブの最終日

(出典:YouTube)

(出典:YouTube)

TaijiがXをクビになった理由

あまりにTaijiがルックス・演奏の才能・ステージのプレイすべてがカッコ良く派手好きてたので、Yoshikiに嫉妬されたから?とか、あるいは

ギャラを均等に5等分することをYoshikiに何度もしつこく言っていたから?
Yoshikiのドラムについてひどいダメ出しをしたから?

 と、いろいろな説があるが結局のところ、

Taijiが暴力沙汰を起こすなどの素行不良問題が積み重なったため、Xのメンバーとして在籍することを当時所属していたソニーの幹部から危ぶまれたということが大きな理由の1つだったのではないかと思う。

 Taijiが解雇された理由については、TaijiとYoshikiで違うことを言っている。

Yoshikiは「Taijiが自分との約束をいつも簡単に破ったから」と言うが、「約束」の内容については「言えない」と頑なに口を閉ざしている。そのため、今でもその理由がわかっていない。

Taijiは、彼の著書の中で、YoshikiやXにとって自分が「目の上のたんこぶ」だったからと言っている。本当にそうだったのだろうか?

     ( 写真出典:https://mixi.jp/view_community. )

「ラウドネスのセッションオーディションにリハーサルを欠席して参加した」など他にいろいろな理由がインターネットでも挙げられている。

すでにTaijiが亡くなり、Yoshikiは理由について口をつぐんでいるため全ては憶測でしかない。しかし、どうしても憶測でも理由を決めつけたくなってしまうのがファン心理だ。

TaijiはXを脱退する前にラウドネスのセッションオーディションに2度も参加していた。Yoshikiは、Xのメンバーが他のバンドと付き合うことをあまり良く思っていなかった。Taijiはそれまでにいくつかのバンドから引き抜きの話があったらしい。

実は、ラウドネスとのつながりが、それまでTaijiのことをかばっていたYoshikiにとってTaijiへの不信感を募らせるような裏切りとなってしまい、最終的にTaijiをXから脱退させることを決めたのではないかと思う。

YoshikiはTaijiのベースを必要としていたのだから、Taijiの脱退は、かなり考え抜いた結果にしかたなく出した答えだったと思う。

Taijiは、ラウドネスに学生時代から憧れ、高崎晃さんとも個人的な付き合いを持っていたためYoshikiはだいぶ前からTaijiにラウドネスなどの他のバンドとの付き合いを持つことを禁じていたが、Taijiがその約束をいとも簡単に破り、Xの仕事よりラウドネスとのオーディションを優先したことがわかって堪忍袋の緒が切れたのかもしれない。

女も男も惹きつけた男気あふれるTaiji

X~ラウドネスと大活躍していたTaijiのベースプレイは、反則なくらいにかっこ良く見ている者をくぎ付けにする。Taijiのベースは、かなり多くのプロミュージシャンが認める本物だ。

さらにTaijiは男女問わずに誰もが認めるイケメンで、男の色気も男気もあり、それまでの地味なベーシストのイメージを大きくくつがえしてくれた。

 Taijiは日本を代表するベーシストだ。こんなカッコいいベーシストは二度と出てこない。

そのカッコよさは、言葉では言い表すことができない。そのため、次の動画をぜひ見てもらいたい。

?Taijiのベーシストとしてのカッコよさ、ルックスのカッコよさ、ステージパフォーマンスが光っている動画を選んだ。

この頃のX Japanのメンバーは5人全員かっこいいこの頃のX Japanは最高!!

(出典:YouTube)

(出典:YouTube)

Taijiの華麗でテクニカルなベースプレイを見て彼に憧れてベーシストになろうと思ったというミュージシャンや若者たちが数が知れないほどいる。まさにTaijiは男も惚れる男だ

実は、Taijiの右手の中指は2歳の時、父親のやっていた工場の機械に誤って指先を突っ込み切断してしまったため、中指の第一関節から上が欠損している

?次の動画を見ても、そのことがわかる。

この動画は、2000年8月12日 TAIJIの公認ファンサイトであるBeFree!!主催で行われた、”TAIJI’s Night”でのCloud Nineのリハーサル風景。

よく見ると、右手の中指が欠損していることがわかる。

(出典:YouTube)

?の動画でTaijiが作曲した名バラード「Voiceless Screaming」を弾いているTaijiの指先を見ると、5:55~Taijiが中指の代わりに薬指を使ってアルペジオ奏法をしているのがわかる。(トルコ語の字幕の映像ですが、クリアでTaijiの指先がとても見やすくて良いです)

「Voiceless Screaming」のギター?演奏のポイントをインタビューされた時Taijiは一言、「アルペジオ(奏法)ですね」と答えた。そして、続けて(「アルペジオ」をうまくやるコツは)フォークギター?をやることです、マジで」と答えている。

ふつうの人にとっては薬指を使ってギターやピアノを弾くのがものすごく難しく、ピアニストを目指す人などは薬指を強くするためにわざわざ薬指にタコ糸を結んで引っ張って鍛えるそうだ。(Yoshikiがそのようにトレーニングすると話していたのを聞いたことがある)

それをTaijiは、このように薬指を使ってギターを弾いていたのだ。プロのギタリストが見てもTaijiの?演奏に驚かされるのがわかる。
?「静かなX」のライブで「Voiceless Screaming」を演奏するTaiji。
Taijiがセクシーで哀愁のこもった声でコーラスをしている。

(出典:YouTube)

そして、ベースで2フィンガーピッキングする時(アポヤンド奏法というらしい)も中指の代わりに薬指を使っていた。このような技術が身についてできるようになるには、相当な時間を練習する以外ありえないらしい。

いかにTaijiが天才といえども、裏で相当な努力をしたからここまでの領域まで達したのだ。

Taijiは、人一倍努力をして中指の欠損してることなどまるで感じさせないどころか神としか言いようのないほどの天才的才能を発揮し日本で最高レベルのベーシストになった。

?の動画は、Taijiの素晴らしいベースプレイが堪能できる「Taiji伝説のベースソロ」。

ベーシストでこんな華麗なプレイが出来る人がいるんだなーって感心して、惚れ惚れして見入ってしまう。

(出典:YouTube)

?TaijiのBESTソロ集。どのTaijiのソロも全てかっこいい。

(出典:YouTube)

低音ってすごくエッチな気がするんだ、俺には。低音にはセクシーさを感じるよ。Taiji

?TaijiとYoshikiのデモレコーディングのレアで貴重な音源。アルバム制作過程のもの。

Taijiのベースラインは、メロディアスで、聴いている間に惹きつけられていく。Taijiは、フレーズを熟知していて当時のXやXファンをリードしていたと感じる。

(出典:YouTube)

Taijiにはベーシストとして「神がかり的」だと言われるほどのベーステクニックとカッコ良さがあった。

Taijiは、『男気』という文字が一番似合う男

Taijiには男でも女でも惹きつけてしまうような不思議な魅力、男の色気がある一度Taijiを好きになってしまうと彼の魅力にどんどんとハマって行っていく。

私もその1人だ。

それほど奥深い男であり、偉大なベーシスト&アーティスト、Taiji。

            (写真出典:https://www.tumblr.com/search/d.t.r.)

X(XJapan)を脱退後、彼が高校時代から大好きなラウドネスに移ってからは男性のTaijiファンがかなり増えたらしい。YOUTUBEのTaijiのいた頃のラウドネス動画のコメント欄には、男性のファンからのものもかなり多い。

ラウドネスでのTaijiは、本名の沢田泰司”Taiji Sawada”でクレジットされている。

ラウドネスのような骨太の男っぽい実力派メタルバンドのファンには、ヴィジュアル系のX出身のTaijiが初めは受け入れられなかった。そこで、Taijiはさらなる努力をし、ベースの技術を上げていき、かっこいいベースプレイをし、ライブでラウドネスのファンに見せつけた。

そのため、ヴィジュアル系バンドのXにいたTaijiに対して、初めはブーイングだったラウドネスのファンもしだいにTaijiを認めていった。

ラウドネスに在籍したのは1年程度だったが、Taijiのベースの実力を多くの人に認めてもらうためにはXJapanにいたのと同等以上か、それ以上の輝かしいキャリアになったといえる。

Xにいた時のTaiji以上にラウドネスのTaijiは、キラキラ✨輝いている。ラウドネスのライブの映像を見ると、それがよくわかる。

?Taijiが高校時代から大好きだったラウドネスの名曲「CrazyDocter」。歌詞を口ずさみながら演奏しているTaiji。

Taijiの名言④

俺が音楽をやるっていうのは、尊敬しているバンド、影響を受けたバンドを初めて聞いたときの興奮を教えてあげたいみたいな気持ち、そういう部分っていうのは別に使命ではないんだけど、やっぱりありますね。 – TAIJI

(出典:YouTube)

?「Crazy Night」でもTaijiが満面の笑みで演奏している。ギターの高崎晃さん、ボーカルのMASAKIさん、Taijiのベースに惚れ込んでいた樋口さんもすごく楽しそう。

(出典:YouTube)

「Taiji inラウドネス」の記事も読んでみてねラウドネスのTaiji ~Taiji in Loudness~

ラウドネス脱退後のTaiji

ラウドネスで一年半程活躍していたが、事務所との契約問題が理由で脱退せざるをえなくなり1994年に自分のバンドである「D.T.R」を結成した。

渋谷公会堂で初ライブを飾るも、その後あまりうまくいかず、1996年4月にボーカルの竹内が脱退しD.T.Rは空中分解。

私生活では家庭内がゴタゴタして妻と離婚し2年間の放浪生活を送ることになる。

1998年5月、TaijiはHideの死の直後、人づてにHIDEが亡くなったことを聞いて借り物の喪服に身を包み、会場がわからないままタクシーに乗り込み、偶然に葬儀会場にたどり着いた。そこでYoshikiやXJapanのメンバーや仲間たちに再会した。その時に会った芸能関係者や仲間のサポートも得て、復活する・・。

その後もTaijiはたくさんの仲間に助けられ、その後バイク事故での怪我や病魔と闘いながら、さまざまな経験を糧にして自分のやりたい音楽をやり、ストイックに生きた。

?次の動画は、Taijiが40歳になった頃のもの。

大人の男の魅力が出て、さらに格好良くなっているTaijiが見られる。

(出典:YouTube)

晩年のTaijiは、病気と闘っていたため若い頃の彼の姿とはだいぶ違っているが、大人の男の渋みが出てきて、やっぱりかなり格好良かった。たとえ商業的には成功したと言い難くても、Taijiは自分がやりたい音楽をやり、ロックな生涯を終えたと思う。

 最期までTaijiは、真のRockerだった。
 その雄々しい姿は、まさに「男の中の男」、「不死鳥」だった。              Taijiが「phoenix」と言われた理由はここにある。
Taijiの死後に贈られた追悼コメントでもTaijiが真のロッカーだったことが書かれている。
2017年、7月17日Taijiの命日に行われたXJapanのライブの時、Yoshikiが「Taijiはロックという言葉が一番似合い男だったね」と話している。
2017年7月17日のTaijiの命日のXJapanのライブでYoshikiが「今日は、何の日か知ってる?Taijiが旅立った日です。最後にステージやったのは、日産スタジアムだったね。
ロックという言葉が一番似合う男だった。Taijiに一曲捧げるか?」と切り出し、1992年1月7日以来、25年ぶりにXJapanのライブで「Voiceless Screaming」が演奏された。
SUGIZOとPATAのアコースティックギターに合わせて、Toshlが切ない声で歌った。
ストリングスとピアノを再アレンジした貴重なバージョンで演奏された。

 ?Taijiへのメッセージが添えられてるTaiji Tribute 映像。

手書きのメッセージにTaijiへの愛情を感じる。どんな時のTaijiも素敵?と感じる動画。

https://youtu.be/AiQCN7Jhb24?t=371

(出典:YouTube)

Taijiの死の直後の追悼コメント

XJapanメンバーがYoshiki、Toshi、はじめ、それぞれがTaijiの死後に追悼コメントを出している。

(出典:音楽配信サイト「ナタリー」 https://natalie.muより引用)

YOSHIKI コメント

TAIJIの突然の訃報を聞いて言葉にならない衝撃を受けています……まだ心の整理がつかない。 昨年、日産スタジアムで一緒にプレイした事がまるで昨日の事の様に蘇る。ファンの皆の気持ちを考えると胸が張り裂ける思い……だけど、こういう時だからこそ自分達が強くなければならない。これからはTAIJIの分まで、そしてHIDEの分まで背負って頑張っていかないといけない。 偉大なベーシストだったTAIJIが安らかに眠れる事を祈っています。

Toshiコメント

突然の訃報にショックを受け信じられない気持ちでいっぱいです。いまはそれ以上のことは何も考えられません。

PATA コメント

インディーズからメジャーデビューしての数年間、怒涛の時間を一緒に過ごした仲間が居なくなるのは残念です。ご冥福をお祈りします。

HEATH コメント

突然の悲報に大変驚いております。 昨年、日産スタジアムで共演した際「また一緒に音出そうな」とお言葉を戴いていただけに、まさかこのような知らせを受けるとは思ってもいませんでした。今はただ悔しくて残念な気持ちが溢れ言葉になりません。心より哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

SUGIZO コメント

TAIJIさんは唯一無二の、圧倒的な天才的ミュージシャンだった。日本の音楽シーンは、大きな魂を失ってしまった。悲しい。。生涯波瀾万丈だった敬愛すべきロックンローラーの冥福を心から祈ります。

前年の2010年8月のライブでTaijiと久しぶりの共演をした直後だっただけにX Japanのメンバーの驚きと落胆は相当大きかったと思われる。

TKRAメンバー ダイナマイトトミーコメント

Taijiの盟友、現フリーウィルの代表でTaijiと一緒に組んだバンドTKRAのメンバーのダイナマイトトミー(元Colour)はTaijiは、最後まで生きざまそのものが最高のロッカーだったといった。

高崎晃コメント

まだまだこれからのアーティストなだけに、泰司の死は残念で仕方ありません。 彼は人生の最期までロックを貫き通したと思います。

「Taijiは初めて会った時から人生の最期まで本当にロッカーを貫き通したと思います」

高崎晃さん(Taijiは「晃師匠」と呼んでいた)はTaijiの死後も命日にブログで

 「Taiji Sawada forever!」とTaijiのことを讃えている。                 (高崎晃Twitterにて)

2018年4月、世界的に有名なフェスティバル、コーチェラフェスティバルのライブが行われた時、X Japanのメンバー全員が参加して演奏した。この時にTAIJIとHIDEも一緒にステージに立っていた。9:45~TAIJIの姿、そしてHIDEの姿がホログラムで映し出されている。この時、7人のⅩJapanのメンバーが一緒に世界のステージに立っていた。

YOSHIKIは、絶対にTAIJIとHIDEを世界に一緒に連れていきたかったんだね!ありがとう!YOSHIKI。2人とも喜んでいたと思うよ。

(出典:YouTube) 

伝説の天才ベーシストであるTaiji、沢田泰司は永遠のロックスターだ!!

(出典:YouTube)



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