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自分で道を切り開いて活躍し続けてきた天才Yoshiki
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2018年平成最後の紅白歌合戦では、YoshikiはXJAPANとしてではなく、Yoshiki feat. Hyde として初出場した。 NHKで放送された人気アニメ「進撃の巨人」のオープニング曲「Red swan」のボーカルをTOSHIではなく、Hydeに依頼したため、2018年後半はHydeとの活動が目立っていた。
さらに、Yoshikiは世界の歌姫サラブライトマンともYoshikiと共演し、Yoshikiが楽曲を提供した「Miracle」を紅白で披露した。
ここ数年のYoshikiの活躍は他の追随を許さないほど圧倒的で、スケールが大きい。
天才アーティストとしてYoshikiは今では世界中から注目され、称賛を受けている。 彼こそ、日本を代表するアーティストであり、日本の誇りだ。
(出典:YouTube)
Yoshikiは、「世界進出」をはじめ、夢を次々と叶え、絶え間なく自分の可能性を引き出すことに全力を注ぎ続けてきた。 行動力、決断力、集中力、音楽的センス、商才・・数々の能力をYoshikは自らの力で引き出し、人並み外れた領域まで高めている。
Yoshikiはこれまで周りの人間を見ながら物事を進めていくのでなく、自分がまず先に飛び込んでいくようにしてきている。
つまり、Yoshikiは、特攻隊長なのだ。
Yoshikiのこういう生き方は、Xの初期の時代からずっと変わっていない。 “Violence in Jealousy”ツアーのツアーファイナルの挨拶の時、「俺たちの前に道はない。道は俺たち5人が切り開いていく」と涙ながらに話していた。
?マディソンスクエアガーデンのステージでライブをした時のテレビ映像。
(出典:YouTube)
この時Yoshikiが言っていた「俺たち5人」とは、TOSHI、HIDE、TAIJI、PATA、Yoshikiのことだ。しかし、この後すぐにTAIJIは脱退、1998年にHIDEが亡くなり、2011年にTAIJIが亡くなってしまった。
「横を見て進んでいくのではなく、前を見て進めばいい」
「一瞬一瞬を思い切り生きる」 Yoshiki
「破滅に向かって」は覚悟を決めて思いっきりやっていくというポジティブな意味あいもある。
「僕が持っている壮大な構想というか、もともと僕はBig Picture(全体像)の人なんです。要するに、全体から見ていくんです。細かいところから見ていったって大きいところはわからない。林の中にいて、この木を切ったり装飾していても、自分がその林の中のどこにいるのか? それがどれだけでかいのか、まずその位置確認をしたいタイプなんですよね。 そこで一生懸命やっていても自分のポジションがわからないと、全体を変えたいという時にどこから行けばいいかわからない。僕は必ず、そのBig Picture(全体像)から始まるんです。」
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「自分もあと何年音楽業界にいれるかわからないでうけど、それぞれ人って生まれた意味/使命があると思うんですね。僕は芸術家として何かを残すために生まれてきた。みなさんもそれぞれにいろいろな職業があって、それぞれに使命があるわけで、僕はその使命を達成して死にたいと思っている。その使命って何なのか? 「自分はいったい何のために生きているのか?」と、まだ見つけられない方もいる。でも、この世の中に存在しているというのは、絶対に意味があるんです。生まれてきたという意味を見つけて、それを見つけたからにはどうやってその使命を全うするか。」「50年築かれた音楽ビジネスの中で「お金を稼ぎました」「何億円稼いだ」「いい家に住んだ」・・・それでね、死ぬ前に芸術家として人生を振り返った時に「何が俺の目標だったのか」って、それは違うでしょ。きっと「100年か200年聞かれる曲を1曲でもいいから残せた」ということでしょう?きっと、そのために芸術家は生まれてきたんだと思うんですよね。」 『2019年新春のBARKS』より引用photo credit: jus10h Yoshiki (X Japan) 10/25/2016 #41 via photopin (license)
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?XJapanが解散しHIDEが亡くなった後、失意のどん底にいたYoshikiに「天皇即位10周年記念」の祝典のための楽曲提供の依頼が来る。Yoshikiは、これを自分の使命と感じ引き受けた。
(出典:YouTube)
?Yoshikiは、XJapan復活時にあえてファン達と一緒にPV撮影をした。
?Yoshikiの芸術家としての思い、使命感は2018年の天候によりライブがキャンセルになった時の神対応と言われた「無観客ライブ」を行ったことでもわかる。
(出典:YouTube)
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YoshikiがTOSHIやXJAPANのメンバーと創ってきたX JAPAN
Yoshikiは4歳からピアノを始め、音楽に出会った。
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そして、TOSHIもKISSのファンだったので、Yoshikiからkissのライブの話を聞いた。
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Yoshikiにとって音楽とは生きる上で絶対不可欠な水や空気、いや魂そのものなのだろう。だから、Yoshikiはどんなに失意のどん底にいても、音楽から離れずに生きてきたのだ。
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「僕は音楽家だから、ぶつけられるところがあったからよかったけど、音楽がなかったら・・どうなっていたでしょうね。なかったら生きてたんだろうか?と思ってしまいますね」と、涙ながらに語っている。
特にそう感じたのは、XJapanがまだXだった時代のライブを観た時だ。
(出典:YouTube)
(出典:YouTube)
ライブ会場には、ものすごいエネルギーが充満していた。そこには、破壊的な感情や殺気もあったと思う。単なる破壊なのでなく、「破壊から始まる創造」だったんだと思う。
(出典:YouTube)
X JAPANに変わる以前のX(特にインディーズ時代)のYoshikiは殺気にあふれていた。
(出典:YouTube)
?まだメジャーデビュー前の初期5人のX(XJapan)の若さあふれる斬新な自己紹介ビデオ。(PV)
Yoshikiはウニ頭。PATAは、赤毛のモヒカン。Hideは苦手の大蛇をクビに巻いて強烈なまでに自分達のアピールをしている。私が初めてXを知ったビデオ。渋谷公会堂ライブ直後の頃。XJapanになってからのファンは、この映像を見て驚くと思う( ´艸`) 最後に、Yoshikiからファンへのメッセージが入っている。
(出典:YouTube)
メジャーデビューするまでにX(XJapan)をプロデュ-スしたYoshiki
初期のX(XJapan)は、インディーズのバンドにしては、かなりの人気があった。 最初のうちこそ、チケットをYoshiki中心に知り合いに手売りしていたが、過激でエネルギーが充満しているライブに参戦してくるファンがどんどん増えていき、ライブハウスを満員にできるくらいまでになっていた。
(出典:YouTube)
神楽坂ディメンジョン、鹿鳴館などのインディーズからメジャーに行く前のバンドがお世話になったライブハウスはファンとXの5人の熱気にあふれていた。あまりに過激な行動をしたためにいくつかのライブハウスからは「出禁(出入り禁止)」を食らっていたらしい( ´艸`)
(出典:YouTube)
(出典:YouTube)
ライブハウスだけでなく、ライブ後に打ち上げで行く居酒屋もいくつか破壊したため、居酒屋、そしてホテルも出禁になっていた。YoshikiやHideがライブ後に酔っぱらって破壊活動をしたためだ。⇒Yoshiki伝説
ライブのチケットを売ったお金がライブハウスや居酒屋の弁償代にかなり消えていってたらしい。インディーズ時代に会計係をしていたTOSHIが話していた。そのため、地方のライブでの宿泊先はホテルでなく、公園や車内だった。
Yoshikiの壮絶な人生を表現した組曲「Art of life」
Yoshikiは、自分の生涯を描くにあたって、小学校2年生で初めて買ったレコード『シューベルトの交響曲第8番ロ単調「未完成」交響曲』を取り入れることが構想の段階で決まっていた。そのため、「未完成」交響曲のフレーズが曲の中で多く使われている。
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(出典:YouTube)
この曲は初めは、アルバム「Jealousy」に収録するはずだった。それが、「Jealousy」の〆切が早まって制作が間に合わなかったので、見送られたらしい。
オーケストラのパート部分は1991年10月に56名のロイヤルフィルハーモニー管弦楽団がロンドンのスタジオで演奏したもの。そのオーケストラの収録も「ART OF LIFE」のアレンジが複雑だったため、2日間のリハーサル期間を設けて行われたという。
photo credit: jus10h X Japan 10/11/2014 #69 via photopin (license)
このことがスタジオのあるロサンゼルスの一部のタブロイド紙のローカル版に掲載されて、アメリカ音楽業界で話題になったらしい。
XJapanとしては、1993年東京ドームの「日本直撃カウントダウンXJapan Returns」で 2回演奏している。メンバー全員が自分達の楽曲であるにもかかわらず、ライブ直前まで必死にコピーしていたという。
(出典:YouTube)
XJapanを長年リードしてきたYoshiki
Yoshikiは、XJapanのリーダーとして今まで完璧にバンドをコントロールしてきた。
X結成、インディーズ時代のアルバム制作のためのレコード会社の立ち上げ、TaijiのX脱退、TOSHIのXJAPAN脱退、XJapan解散、hideの死、再結成、海外進出・・・
(出典:youtube)
「オレの鶴の一声で、翌日に他のメンバー達がロサンゼルスに来る」、Yoshikiは自分が他のメンバーを思い通りに動かせるXJapanのリーダーだと、高見沢さんに話している。
これを聞いて、高見沢さんは笑いながら、Yoshikiを”暴君ネロ”と言ってる。 高見沢さんは「それで大丈夫なの?(XJapanは)うまくいっている?」と、先輩リーダーとして心配してYoshikiに苦言を呈している。
Yoshikiはこれに対して、「大丈夫。」と何の迷いもなく、答えているが・・・
この頃、レコーディングの打ち合わせをしている時もYoshikiが他のXJapanのメンバーに意見を聴いても、他のメンバーは「Yoshikiが好きなようにすればいいじゃん」と答えていたという。hideも含めて誰もレコーディングに関してのことでYoshikiに意見をしなかったらしい。
XJapanの再結成後「TOSHIがXJapanを脱退したこと」についてYoshikiはマツコの番組で、
「TOSHIの脱退は、父親を失った時と同じくらいの物凄い衝撃だっ た」とYoshikiが話している。
インタビュー本『ART OF LIFE』(1995年2月20日発行)の中で、「たぶん、YOSHIKIは、TOSHIの声が、すごく好きなんだろうね」という質問に、Toshlさんは「嫌いっていわれたら、俺、何のためにやってたんだろうって疑っちゃうけどさ」と返している。
photo credit: jus10h X Japan 10/11/2014 #23 via photopin (license)
ところが、ラジオ「ミュージックスクエア」(1996年10月18日放送)で、YOSHIKIさんが「俺の前で喋るな」の件を持ち出した際、Toshlさんは「僕の声嫌いなんですよ」「怒られるんです」と元気のない声で言っていた。
X脱退の理由について何でも洗脳のせいにされているが、Toshlは2010年1月18日のホームオブハート脱会記者会見で、
「これがなければ、X JAPANは98年以降も活動してたと思います?」という記者の質問に対し、
「いや、それはちょっとわからないですね。その当時はやはりもうちょっとX JAPAN自体の活動に対して、疑問を感じていましたので、またそれは違うところにあると思います」と返答している。
元妻の影響はあったとして、ToshlがMASAYAと会ったのは脱退後、セミナー受講は解散会見後。 流れは「脱退→解散(会見)→洗脳(セミナー)→ラストライブ」。 他にTOSHI、「結局、僕がX JAPANのボーカルとして、自信がなくなったことが原因です」
(「女性自身」2015年1月27日号)「あの時は、YOSHIKIといろんなことありましたし、もし、その洗脳とか、マサヤみたいな人間達が出てこなくても、もしかしたら僕とYOSHIKIの関係は破綻していたかもしれないです」
などと語っている。 (2017年10月、ソロイベントでのファンとの会話)
X Japan 10/11/2014 #42 via photopin (license)/blockquote>
TOSHIから見たYoshiki
TOSHI
「彼(Yoshiki)とは45年前、まだ3歳か4歳だった頃に幼稚園で出会いました。 そして、10歳の時に初めて一緒に演奏しました。その年、Yoshikiは彼のお母さんと一緒にKISSのコンサートを観に行きました。
僕たちは同じクラスで、僕はKISSの大ファンだったので、コンサートはどうだったかと訊きました。その年齢でロックの話をしている人なんて他にいなかったので、彼とはすぐに親しくなりました。
当時僕はアコースティックギターは弾けたんですが、エレクトリックギターも演奏したいと思っていました。Yoshikiはエレクトリック・ギターとドラムセットを持っていたので、彼の家で、Yoshikiがドラムで僕がギターで、KISSのカバーをしたりしていました。まだバンドではありませんでしたが、それが僕たちが音楽を始めたきっかけです。
僕たちは幼稚園、小学校、中学校、高校と同じでした。12歳か13歳の時に、何人かのクラスメートの中からギターリストやベーシストを見つけて、それで「3年生を送る会」っていうのがあって、その時にロックのコンサートをやりましょうということで初めてステージに上がりました。
XJAPANは、本当にもう長い間、それこそYoshikiと2人で作ってきて、いろんな困難やいろんなことがあって、そして今がありますよね。」
ーーXJAPANのメンバーとして一番難しいことは❓に、
「 Yoshikiが作ってくる楽曲、 メンバーが作ってくる楽曲を、そのアートを作り上げるために僕の歌声を整えて、そのリクエストに負けないように出していくことです。」 photo credit: jus10h X Japan 10/11/2014 #63 via photopin(license)
ーー「Yoshiki」について教えてくださいという質問に対し、
「Yoshikiはなかなか一言では語れませんですけれども、やっぱりとても尊敬しています。彼の人生っていうのを、おそらく彼の一番側で一番長い間ずっとその時間を共有したり、見せてもらっていて、とても面白い。
Yoshikiっていう人生を見ているだけで僕は感動もするし、興奮もするし、なんかとても楽しいものを見せてもらっている。だから、Yoshikiという人生を見る一番の特等席に僕はいて、将来はYoshikiという本でも書きたいなと思うくらい、僕の人生にはドラマがあります。
だから、これからも仲良く、共にパートナーとして生き続けていくんだろうなぁという風に思います。」
ーー音楽業界で一番尊敬する人は?
「Yoshiki。ほんとに。彼ほどすごい人は見たことない。やっぱり音楽の世界でも彼の才能、それと彼のパーソナリティをとても尊敬しています。だから一緒にずっとやっていけるんですけど。素晴らしいです、彼は。」
『Tokyo Journal』より
photo credit: jus10h X Japan 10/11/2014 #41 via photopin (license)
?2017年ドイツベルリンでのライブ後にXJapanメンバー全員でラストライブを振り返っている。3:00~TOSHIが話しているところにYoshikiも加わり、2人でXJapanを結成し自主製作アルバムを作成したり、バンドをデビューさせるまでのこれまでのXJapanの歴史を話している。15:20あたりでYoshikiが言葉に詰まった時に、TOSHIがマイクを受け取ってスッと自然に会話を引き継いだのを見てYoshikiにはTOSHIが絶対に必要な人なんだなと思った。
(出典:YouTube)
?YoshikiとToshilが影響を受けていたKISSのライブ映像(2人が憧れていた頃のKISS)
(出典:YouTube)
?アメリカのロックスターであり、Yoshikiの大親友マリリンマンソンがYoshikiを「正真正銘のロッカー」だと語っている。
(出典:YouTube)
(出典:YouTube)
そして、Yoshikiは、”世界のYoshiki”になった。まだまだYoshikiは進み続ける。HIDEとTaijiの夢もたずさえて。
?Yoshiki Twitterより
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