X JAPAN(X時代)の元プロデューサー津田直士さんが見たメンバーの素顔②

Xjapan
この記事は約10分で読めます。

元プロデューサー津田さんといた頃のXJapan(X)のメンバーの素顔

もうすぐⅩJapanがメジャーデビューして30周年になる。平成元年(1989年)にXJapanは、当時のバンド名「X」でデビュー。デビュー後、アルバム「BLUE BLOOD」を4月にリリースした。Xは平成元年にメジャーデビューして、2019年は平成31年で平成最後の年。(2019年の5月より新たな元号「令和」になる。)XJapanは、平成を駆け抜け、日本のロック界を担うロックバンドになった。

ビジュアル系の元祖を創ったのもⅩJapanだ。厳密に言えば、「ビジュアル系」という言葉は、HIDEがつくった言葉。

 

👇1988年7月。インディーズ時代の頃のX。Xのメンバーは当時22~23歳で、尖っていて攻撃的、そしてエネルギーがすさまじい。Xがまだ小さいライブハウス中心に活動していた頃で客との距離が近く、ガチンコでライブをやっていた。

X – VANISHING TOUR – 1988年7月19日 / 仙台フォーラスモーニングムーン

(出典:YouTube)

👇XJapan(X)がメジャーデビューしたばかりの頃のライブ前のXのメンバー。メンバー達の意気込みが伝わってくる。( ´艸`)

XJAPANデビュー時のメンバーとトーク!ライブ前の映像

(出典:YouTube)

次の2つの動画はTaijiが抜けてからすぐでまだXJapanになる前にXの歴史を振り返ったTV番組だ。

👇1987年、豊島公会堂でのライブでToshiが大暴れしたときのことを当時のイベンターさんが話している。その時にイベンターさんから大目玉を食らったが、Yoshikiが謝罪の手紙を書いたので、イベンターさんは、それ以後Xとずっと一緒にやって行こうと思ったらしい。

インディーズ時代のXにはお金がなかったが、メンバー全員で資金繰りをし、大阪のバーボンハウスと目黒の鹿鳴館でライブをやった時に来場したファン全員に無料ビデオを配布した。無料ビデオの中に収録された曲は「XCLAMATION/ STAB ME IN THEBACK / 紅」。その当時、ビデオ屋でバイトをしていたPATAがビデオテープに曲目をコピーしたものを貼るなど、全て手作業で作ったものだった。
X History 1/2

(出典:YouTube)

👇1988年8月、YoshikiがⅩがメジャーデビュー契約をした時の話をしている。HIDEが「良いディレクターがいたからね」と言っている。「良いディレクター」とは元プロデューサーの津田直士さんのことだろう。メジャー契約後すぐに山中湖でレコーディング合宿をした。その頃から津田さんに相当お世話になっていたようだ。HIDEは、「もしも津田さんがいなかったらXが商品化ができなかった」というくらい津田さんにいろいろお世話になったことを話していた。Xにとって津田さんは親代わりの存在だったという。
X History 2/2

(出典:YouTube)

津田さんは、Xについての本「すべての始まり~Xという青春」を書いた理由は、「Ⅹの本当の姿」「Xの本当の魅力」を伝えたかったからだと話している。デビューした当時から、ものすごい目標を掲げて突っ走ってやり遂げた、”Xがエネルギーにあふれてた時代”を書く必要があると感じたという。
その理由は、この本の執筆当時、日本全体に元気がなかったからだ。
だから、Xの本当の姿を伝えて日本の若者をはじめ、みんなを元気にしたかったらしい。(これについては前回に触れてました。)
デビュー当時のXは、かなり破天荒なバンドだったけれど、こんなことやっていいんだと思って勇気づけられる人もいるだろうと思ったと言う。Xのメンバー5人がガチンコでやっていたステージだったということを津田さん自身の言葉でファンに伝えたいということがあったのだろう。
👇CBSソニーオーディションの時のⅩのライブ。Toshiの迫力がすごい!オーディションでこんなのあり?って思うくらいのMC(笑)「怖いもの知らずだなぁ、この頃のToshiは」と思ってしまう。
X Japan – CBS Sony Audition 1987.12.26
(出典:YouTube)
当時、Xを理解してくれる音楽関係者は少なかった。だけど、津田さんはプロデューサーとしてXの5人のメンバーと接していくなかで、彼らが新しいことを生み出していこうとしていることが見えて、彼らは絶対に成功すると確信していた。津田さんはデビューする以前からXの才能に一番惚れ込んでいた人なのだ。
津田さんのような、才能に惚れ込んでくれたプロデューサーがいたことがXがあそこまで大成功をおさめることができた大きな理由ではないだろうか?
いずれにしろ、Yoshikiと今もつながりが続いていることからしても津田さんの影響力は大きいんだなぁと感じる。
            
プロデューサー津田さんから見たXJapanのメンバーのメンバーは、ピュアで純真無垢な赤ちゃんのようなオーラを持っていたという。5人それぞれのキャラクターがとても面白くて、5人の性格とキャラクターの組み合わせがまるで漫画みたいだったらしい。

Ⅹ時代のメンバーの中でも一番赤ちゃんオーラが強かったのは、HIDE。HIDEは、ロックスピリットにあるピュアさと強さ、悲しみが彼の性格とピッタリ合っていたという。HIDEは、まさにロッカーになるために生まれてきた人間なのだろう。

その他にToshiの可愛くて、いじられキャラなところや、PATAの存在感の大きさ、当時のXの中にTaijiのいた意味などを本に書きたかったという。それそれのキャラクターが面白くて、メンバー一人一人の笑い方まで津田さんは覚えているらしい。

すべての始まり~エックスという青春~【津田直士 インタビュー 5/7】

(出典:YouTube)

YoshikiとXの元プロデューサー津田さんの絆

👇Xをこよなく愛した元プロデューサーの津田さんがⅩJapanの原点、X時代の5人のメンバーのことを想い出しながら話している。津田さんは、Yoshikiのことを「宇宙人」だと言っている。Yoshikiがみんなと話している時にYoshikiが気合を入れたとたん、なんと横にあった灰皿が割れたらしい。( ´艸`)

Yoshiki1人の中に何人もの人間がいるかのようだったという。これだけの能力を持った人間だから普通なら他人が近づきにくいはずなのだが、他のメンバーもそれぞれに突出したものを持っていたのでそんなことはなく、Yoshikiと他のメンバーが会話しているのを聞いているとすごく面白かったらしい。Xというバンドは、100年に一度の人間の魅力にあふれているバンドだと思ったと話している。

「元プロデューサー津田直士が見つめる X JAPANとYOSHIKI」より

(https://twitter.com/i/moments/890772951229804544)

『音楽は時を超える』という真理から、YOSHIKIが見事に『過去』と『今』を繋いでひとつにしていたことの素晴らしさ。それを実現するファンへの責任感と、YOSHIKIの生きざま。ライブを観て気づいた大切なことを昨日、終演後にYOSHIKIと会ってきちんと伝えることができました。

津田さんのTwitterを読むと、Yoshikiに対しての深い愛情がひしひしと伝わってきて、心温まる。今でもYoshikiをはじめ、ⅩJapan(Ⅹ)のメンバーに対しての愛情がたっぷりなんだなぁと思う。

津田さんは、実に情熱的で音楽や人間への想いが強く、そして人間の能力を引き出す力を持った方だと私は感じた。Ⅹ時代にプロデューサーという仕事上の立場で津田さんはXメンバーと関わり、Xのプロデューサーを外れてからは全く別のアーティストの作曲やプロデューサーのお仕事をしていたということだ。

しかし20年近い年月が経っていても、Ⅹのメンバー達といた時代のことを想い出しながらⅩの本を書いているうちに自然に当時の自分の気持ちがよみがえって何とも言えない熱い気持ちになってしまったという。それほどまでに津田さんの記憶の底にⅩの強く鮮明な思い出がずっと残っていたのだろう。

今でも津田さんはたびたびYoshikiに会っていらして、自分の育てた大切な教え子に対するような気持ちになっているように見える。きっと、津田さんはXのプロデューサーの仕事を離れてからもずっと心の奥底にXのメンバー達との思い出が残っていて、遠くからでもⅩのメンバー達に寄り添ってくれているのだろう。

その津田さんの想いはⅩから既にⅩJAPANになった、メンバー達にしっかり伝わっているだろう。

だからTaijiが2010年に18年ぶりにⅩJapanのステージで演奏することになった時に、真っ先にToshlと2人で津田さんに電話をかけたのだ。この関係性を思うと、ジーンと胸が熱くなってくる。

Xの元プロデューサー津田直士さんから見たYoshikiとToshiの関係

👇Toshiは素直な天使。そのToshiのことをYoshikiは無理せずに、曲を用意してただただじっと待っていた。2000年頃にYoshikiと一緒にいた津田さんはその頃のYoshikiとToshlの2人をを見ていて何も言えなかったらしい(以下の津田さんの映像の中の言葉より)

Yoshikiは、XJapanを再起動させるチャンスを2000年から待っていた。2000年にXJapanを再起動させることをHIDEと約束したからだ。YoshikiはHIDEを偲んで作った曲をToshiに聴かせようと思ってToshlと会える機会を待っていた。Yoshikiは自分からToshlのところに行かずにToshiが自分を訪ねてきてくれる時をYoshikiはただ黙ってじっと待っていた。Yoshikiにとって、Toshiは特別な存在だ。同じようにToshiにとって、Yoshikiは特別な存在だ。
【Toshl君は天使 & YoshikiはToshiを待っていた(X JAPAN)】by 津田直士氏

(出典:YouTube)

👇関連記事もどうぞ!

「HIDEとTOSHIの絆」も読んでねXJapanのHIDEとTOSHIの絆

津田直士さんから見たXのメンバー、そしてファンの存在

👇の津田さんのお話しを聞いて、津田さんはhideのソロライブを観に行ってhideに会ったり、復活後にXJapanライブに自らチケットを買っていったということがわかって、ずっとXのことを見守ってくれているんだということを確信した。ⅩとⅩJapanのこれまでの軌跡を一番身近で見ていてくれてきたのだ。だから津田さんは、映画「We are X」の中の大切なシーンにも出演されたのだ。

この動画の後半部分の津田さんからみんなへのメッセージ「好きなことに全力でエネルギーを注いで取り込むことの大切さ」を話してくれているのを聞き、私はX時代からのXJapanが大好きなので、このサイトをずっと作り続けていこうと思った。Ⅹ時代から彼らに勇気をもらってきたXJapanファンとしてメンバーへの熱い気持ちを何かで表したいと思っていたから。

【関連】X JAPAN(X時代)の元プロデューサー津田直士さんが見たメンバーの素顔①」の方もどうぞ☛X JAPAN(X時代)の元プロデューサー津田直士さんが見たメンバーの素顔①
【津田直士 インタビュー② 2/4】すべての始まり~エックスという青春~

(出典:YouTube)


津田直士さんがXのデビューアルバム「BLUE BLOOD」30周年記念書籍を出版

Xの初のアルバム「BLUE BLOOD」が出て30年を記念して、元Xのプロデューサーの津田さんが新たにXJapanの書籍、「美しい記憶」~30年前と今を行き来する旅〜を出版された。詳しくは下記のサイトの方を見てね。

「美しい記憶」カバー.png

https://www.tsudamia.jp/additional

「元プロデューサー津田直士が見つめる X JAPANとYOSHIKI」より(https://twitter.com/i/moments/890772951229804544)

 

 

 

コメント

  1. かのこ より:

    私も津田さんの本を読んで、改めてXの偉大さを知りました。
    今は諦めかけていた夢をもう一度おいかけております。
    夢は脚本家になる事です!

    こちらのサイトを拝見し、いつも更新を楽しみにしております。
    ファンになったのが遅かったので、私の知らなかったエックスのエピソードを知ると
    超萌えます!ありがとうございます。

    私も沢田様ほどではないのですが
    Xの感動を4コマ漫画のブログにしております。xjapan1989.jugem.jp
    よかったら是非仲良くしてください!!!

    • sawada project より:

      かのこさん、コメントをどうもありがとうございます。
      こちらこそよろしくお願いします。
      夢を持っているのって、素敵なことですね。私もいつも自分の夢を一人でイメージしてワクワクしてます。( ´∀` )
      私もXと出会ったことで人生が楽しくなりました。かのこさんもそうですね。
      このサイトは、Xのみなさんへの感謝の気持ちや愛する気持ち、Xファンの方とⅩ、ⅩJapanを愛する気持ちを共有したり
      楽しみたいと思って始めました。だから楽しんでくれていると嬉しいです。

      記事の更新を楽しみにしてくれてるんですね。記事の更新を待っていてくれていると思うと、やりがいが出ます。

      かのこさんの漫画を拝見しましたよ。( ´∀` ) すごく絵が可愛いですね。時々、私も漫画を見に行きますね。
      またいつでもコメントお待ちしてます♪ ありがとう。
      沢田美菜子

error: Content is protected !!