祝!XJapanメジャーデビュー30周年~XJapanのメジャーデビューからの30年間を振り返る~①

Xjapan
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(画像引用元:image.middle-edge.jp)

XJapanのメジャーデビューして30周年記念をお祝いしたい!!

1989年4月21日にXJapanは、メジャー移行後のファーストアルバム「BLUE BLOOD」をリリースした。ここからXJapan(X)がメジャーデビューしたと考えれば、2019年で30周年を迎えることになる。1982年、YoshikがTOSHIと2人でⅩを結成してから37年。もうすでに40年近く、YoshikiとTOSHIは共にⅩをやってきてるわけだ。

Ⅹファン必見!!X Japan【X】のインディーズ時代のお宝映像。ファンに無料配布した超レアなビデオ。

5:10~パーマヘアのToshiが新鮮!( ´艸`) 立ち上げ時のXメンバー達が多数出演してる。5:35~Taijiがお得意の火吹きを連発。

9:12~HIDEのドアップが最高!!若いHIDEがあまりにカッコ良すぎて惚れる。

9:26~弦楽器3人(HIDE、PATA、TAIJI)がそろってプレイする姿が超クール。10:40~TAIJIのベースを弾く手さばきが凄い。これ本当にインディーズ??これがXのインディーズ時代?どれだけすごいバンドなんだ、Xは。

10:57~TAIJIとPATAが並んで弾いている姿が凄すぎ、カッコ良すぎ。見て鳥肌が立つ。12:59~ラスト、HIDEちゃんがふざけて顔をドアップしかも大口開けてるのが最高!

(出典:YouTube)

2019年4月21日でデビュー30周年を迎えたⅩJAPAN。YoshikiとToshiXを結成してからインディーズ時代でのライブハウス活動をへて、メジャーデビューに至るまでを中心にXJapanの30年間の軌跡を振り返っていきたい。

運命共同体の皆様、ⅩJapanの30周年を一緒に祝いましょう!!  We are  X!!

XJapan(X)のインディーズ時代~メジャーデビューまでの軌跡

YoshikiとTOSHIが高校時代にXJapanのオリジナルバンド、Xを結成して友達を中心としてメンバーを集めた。メンバーの中には機材を持っていると理由でメンバーに加えられていた人もいたらしい。

Taijiが初めにXに加わったのが1985年。Taijiも1982年Taijiが高校1年生の頃からバンドを組んで、アイアンメイデン、レインボー、ディープパープル、LOUDNESSなどの曲をコピーをしていた。この頃のTaijiはギタリストだった。

Taijiは、「プロになろう」という決意をし、高校を一年で退学。

そして「トラッシュ」というバンドを組んだ。ツインリードギターのヘビィメタルバンドである「トラッシュ」ではTaijiが作曲したオリジナル曲でコンテストを勝ち進んだ。

この頃からTaijiもYoshikiと同様に作曲の才能を開花させていた。

しかしTaijiは音楽性の違いからXを一度離れた。元からTaijiは、「Xは知ってたけど、このバンド(X)にだけは入りたくなねえなとか思ってた(笑)」と言っていたが、Yoshikiがしつこく熱心に誘ってきたことと「Yoshiki自体が面白かったので(加わった)」と後に話していた。Yoshikiという人間の魅力に引っ張られて加入したらしい

ただTaijiは自分が加入する代わりにその当時のギタリストを辞めさせて自分の推すギタリストを一緒に加入させることを条件にした。

1985年12月に一度、音楽性の違いの理由でXを抜けた後のTaijiは、「テッドワイヤー」というバンドで元デランジェのkyoとTetsuと一緒にやっていたが、1年足らずで解散。kyoとTetsuはデランジェを解散後に組んだ。

テッドワイヤー解散後、Taijiは1年ぶりにYoshikiと偶然に再会し、酒を飲んでいるうちに意気投合する。この時、TaijiはYoshikiとの不思議な縁や絆を感じたのだろう。Taijiは「自分には(YoshikiやXが)必要なんじゃないかな」と感じたらしい。TaijiにとってもYoshikiにとっても運命的な再会だった。

Taiji、HIDE、PATAが加わる少し前のX。

1986年頃のXのメンバーは、Yoshiki、Toshi、Jun(ギター)、Hikaru(ベース)の4人だった(※Hikaruは、雑誌やレコードなどでの表記は「Hikalu」だった。)

インディーズ時代、Xはヘビィメタル系音楽雑誌などによく載っていた。しかし、当時のXは「評価に値しない」と、かなり酷評されていた。

X JAPAN インディーズ時代 掲載雑誌hide YOSHIKI TAIJI toshi toshl xjapan WE ARE X ジャパメタ DOOM エックス 高井寿 宇高光 オルガスム

(写真引用元:Amazon)

1986年、Hikaru(ベース)とJun(ギタリスト)がいた頃のX Japan(X)。  「Kurenai」のオリジナルバージョンを演奏している。

この時のXのメンバー、JunとHikaruも素晴らしいパフォーマンスと演奏の腕前を持っていたがJunはヘヴィメタルが好きでYoshikiとの方向性の違いがあって脱退したらしい。この頃はガンダムのような衣装を着ていた。全体的にKISS、アイアンメイデン、ラウドネス等の影響をかなり受けている。
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(出典:YouTube)

1985年にXの初のEPシングルはビクターレコードよりリリースされた。しかし、これがあまりにものすごいジャケットなので載せるか悩んだ結果、初のEPシングルは「l’ll kill you」ということを伝えたい気持ちがあったので、実物ではなく後に録り直した「l’ll kill you」を以下に載せました。結構衝撃的な画像なので、見て気分を悪くするなど良くない影響があるといけないと考えての判断です。
 この時はPATAがサポートメンバーでギターを弾いていた。

※この記事の最後にYoshiki、HIDE、TOSHIの3人でインディーズ時代を回想している動画の中でこのEP話がちらっと出てきます。どうしてもこのEPジャケットにご興味がある方、YOUTUBEで「X I’ll kill you ビクター」で検索すると見れます。ただ私としては、かなりショッキングな感じを受けたので、ご注意を。

(出典:YouTube)

Yoshikiが「エクスタシーレコード」を立ち上げて1986年4月第一号の商品としてシングルレコード「オルガズム」を「エクスタシーレコード」よりリリース。

この時期で「オルガズム」は、ほぼ完成されていた。すごい!

(出典:YouTube)

オリジナルから10年後、1996年版の「オルガズム」。このライブでは英語バージョンを歌っている。「オルガズム」はこの1996年3月以降、XJAPANのライブで演奏されていない。

(出典:YouTube)

元XのメンバーだったJUN、Hikaruが出たラストのライブは目黒鹿鳴館でのライブだった。この頃からTOSHIの声は、ハイトーンで最高!!JUNさんのギターがすごい!

(出典:YouTube)

1986年12月には、まだサーベルタイガーにいたHIDEがXのライブに参戦していた。その時のエピソードは下に載せてある。何とも言えず可愛くて面白いメンバーのやり取り。その後、サーベルタイガーは解散、Yoshikiの熱意ある勧いにより、1987年にはHIDEもXへ加入。そして以前からXのギターをサポートをしていたことで、すっかりXと顔馴染みだったPATA。またもYoshikiの誘いによりPATAまでも加入した。実は、PATAがYoshikiとTOSHIを初めて知ったのは高校時代に出たアマチュアバンドのコンテストだった。その頃のTOSHIは丸坊主。Xのローディーは血のりを吐いたり、客席にダイブしたりと相当めちゃくちゃで、まさかPATA自身、自分がXに入ることになるとは夢にも思っていなかったらしい。
実は高校時代のヤマハのコンテストでYoshikiが「ベストドラマー賞」をもらい、TOSHIは「大量歌いこみ賞」などという特別賞のような賞をもらっていた。すでにYoshiki、Toshiは高校時代から頭角を現していたのだ。
サーベルタイガーにいた頃のHIDE。(1986年12月29日のライブ)

(出典:YouTube)

BANDやろうぜ
伝説のストーリーインタビュー 1990年1月号,2月号再録
1999年5月発行

TOSHI:そのころHIDEちゃん入ってたよね.

YOSHIKI:そのころやってきた.HIDEちゃん,エックスの練習来て,「『紅』やって」みたいな感じでニヤニヤしながら見てたよね(笑).で,練習のあと飲みに行って,「入んない?」って言ったら「入る」って.「ウォーリャー!」って(笑).

HIDE:その「ウォーリャー」覚えてる

TOSHI:あんときすんげえ嬉しかったの覚えてるよ,俺.

HIDE:こっちがびっくりしたんだもん.それまで何か暗くてさ,俺見に行っちゃいけなかったのかなって思ってた.暗かったよね

TOSHI:緊張してたんだよ.

YOSHIKI:そのあと道端で大暴れしなかったっけ?真冬の最中に.路上で5人くらい亀みたいに重なってなかったっけ(笑).

TOSHI:俺,一番下(笑).

(以上、http://www2s.biglobe.ne.jp/~reiko/databaseより引用)

HIDEがXとの出会いを語ってくれている。サーベルタイガーが解散した後、美容師の仕事をすることにしたHIDEがXのライブに行ってYoshikiに直接会い、人柄に触れてから付き合いを始めてYoshikiとXに加入するまでを回想している。HIDEは、「心のどこかでXに入るようにYoshikiに誘ってほしかったのかもしれない」と話していた。

(出典:YouTube)

↓1987年4月10日のHIDEとPATAの初ライブ。ここは、HIDEとTaijiが初対面した場所、神楽坂の「エクスプロージョン」だ。

16:49~(7曲目)「紅だー!!」 サビ以外は今と違う。だいぶこの後、アレンジを加えたらしい。

(出典:YouTube)

HIDEの初仕事(初ライブ)は「やしろ食堂ライブ」。00:59~Taijiの火吹きからXのライブが始まる。

(出典:YouTube)

1987年6月7日、YoshikiとTOSHIのホームタウンの館山商工会館でのライブ。

このライブはHIDEが言うには、やしろ食堂のライブをしたと同じ日にやったらしい。

YoshikiとTOSHIの地元の友達が来たこともあって、すごい盛り上がっている。司会の人が、「メンバー全員が千葉県出身、ドラムスの林さん、ボーカルの出山さんは館山出身」と紹介してる。Xのオリジナルメンバー5人は、HIDE以外が千葉県出身だ。 PATAの顔にご注目!!

7:24~X CLAMATIONのイントロのベースソロをスリムなTAIJIがクールな顔で弾き、観客を盛り上げている。まだデビューする2年ほど前なのにXメンバー全員すでにロックスターだ!

Xのメンバーにとって思い出深いライブ。この時HIDEはYoshikiの家に泊まり、TaijiとPATAはTOSHIの家に泊まった。Yoshikiもこの時の話をたびたびしていて、PATAはこの時にTOSHIの家で寿司をご馳走になったと楽しそうに話していた。
あまりに観客が男だらけで(YoshikiとTOSHIの友達?)カオス過ぎて笑える( ´艸`)
ラストの曲「オルガズム」のインターバルで、HIDEがローリングストーンズの「サティスファクション」のイントロを弾いてる。

(出典:YouTube)

1987年11月24日、目黒鹿鳴館でのXのライブ。

この頃にはYoshiki、TOSHI、HIDE、PATA、TAIJIの5人のメンバーでの演奏がかなりできあがっていた。「Kurenai(紅)」は、この時にはアレンジが加えられて歌詞は違うが、だいぶ完成形に近くなってる。TOSHIがMCで「この次の曲は、今は英語で歌ってたんだけど、昔、昔、日本語で歌ってた・・今日は昔から来てるやつのために日本語で歌うよ。知ってるやつは一緒に歌ってくれ」と言うとファンから歓声が。

「HIDEさーん!」と何度も女の人のファンの声が聞こえる( ´艸`)さすが、人気者のHIDE。加入してまだ間もないのに大人気だ。

(出典:YouTube)

[SET LIST]

Opening ~ Dear Loser~

1. Vanishing Love  2:35~           2. Feel me Tonight  10:04~ 

3. Break the Darkness  15:48~

4. Phantom of Guilt  20:27~    5. Install 27:00~   6. Alive 33:03~

7. Yoshiki Drum Solo  41:08~  8. Xclamation 47:58~ 

9. Stab me in the back 51:44~ 10. Kurenai  55:42~  

11. Orgasm ~ Born to be Wild ~ Orgasm 1:02:10~

12. No Connexion  1:13:25~  14. 20th Century Boy  1:17:29~

 15. X  1:21:08~

 

1988年4月14日に「エクスタシーレコード」からリリースしたインディーズ時代のXのファーストアルバム「VANISING VISION」。これぞ、X!と感じるアルバム。

このアルバムは永遠にXの中でベストアルバムだと思う。レコーディングに300時間かけたらしい。300時間はインディーズのアルバムとしては破格。HIDEは腱鞘(けんしょう)炎になったらしい。

初回盤で一万枚以上のセールスをあげ、インディーズレーベルでありながらメジャーチャートにランクインを果たした(最高オリコン19位)、インディーズ日本史上初のアルバム。初回のLP盤の帯のキャッチコピーは、「五感を切り裂くXの狂気! 待望のファーストアルバム・リリース。

「I’ll kill you 」の次が「ALIVE」という、曲順の素晴らしさ。ネガティブとポジティブが混在してる。この頃の様々な感情をむき出しにしたギラギラしたXが大好きだ。

↓インディーズ時代のファーストアルバム、“Vanishing Vision”をレコード屋で見つけ、手に取った時に手が震えたのを覚えている。斬新なジャケットにもかなりの衝撃を受けた。

(出典:YouTube)

Taijiが作曲した曲はインスト曲の「DEAR LOSER」、「PHANTOM OF GUILT」そしてHIDEとTaijiの共作の「GIVE ME THE PLEASURE」。
「DEAR LOSER」のイントロのダークな雰囲気のあるアルペジオの部分は、HIDEがつくった。レコーディングでもHIDEがこの部分を弾くはずだったが、レコーディングで腱鞘炎になってしまい、HIDEが「弾くのがしんどい」とのことで急遽、代わりにPATAが弾くことになった。「PHANTOM OF GUILT」はTOSHIが作詞をした。TOSHI自身のコンプレックスを歌詞にしたということだ。
「GIVE ME THE PLEASURE」は1988年だけ演奏され、それ以降されてない。そして、「DEAR LOSER」、「PHANTOM OF GUILT」、「VANISING LOVE」は、1887年~1992年の間は演奏されていたが、1992年以降(「破滅に向かって」の2日目を最後に)ⅩJAPANのライブで演奏されていない。
つまり、Taijiが脱退後はこれらの曲が演奏されていないということになる。ただ、「VANISING LOVE」についてはToshiのソロライブで別メンバーによって演奏されている。
このインディーズ時代のファーストアルバム「VANISING VISION」の発売後、全国のライブハウスをまわるVANISING TOURがスタート。

 

1988年6月2日「VANISING TOUR」の目黒鹿鳴館でのライブ。

(出典:YouTube)

1988年7月10日、仙台フォーラスモーニングムーンでのライブ。

63.7.10」とカメラ表示が見える。昭和63年7月10日。最年少のTaijiはまだ21歳。Yoshiki、Toshiが22歳。HIDEは23歳。
もうすでにインディーズのバンドとは思えない、演奏レベルに達している。そして、オリジナル曲の完成度が高い。インディーズ時代から十分にXはメジャーでやって行かれるレベルだった。

(出典:YouTube)

同じ仙台のライブだが、こちら動画では 1:33~TaijiとPATAをアップで録っている。特に、Taijiは、思いっきりカメラ目線で写っている。鳥肌もののかっこよさ?

(出典:YouTube)

1988年9月4日X時代の伝説的なライブ、京都スポーツバレーライブ。

 TOSHI 「今こそ、この緑の山々と一体になれる時が来たぞ、おい!」

(出典:YouTube)

この頃は「ALIVE」が演奏されていたが、この後はほとんどされなくなり、幻の名曲になってしまった。

(出典:YouTube)

 (出典:YouTube)
この後、1988年8月CBSソニーとメジャー契約し、CBSソニーのプロデューサー津田さんと共にメジャーシーンで初リリースするアルバム「BLUE  BLOOD」の制作へと入って行く。
【関連】「Xの元プロデューサー津田さんから見たXのメンバーの素顔①」X JAPAN(X時代)の元プロデューサー津田直士さんが見たメンバーの素顔①
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BLUE  BLOOD」の制作は合宿して行われ、相当ヘビーなものだったらしい。
「祝!ⅩJapanメジャーデビュー30周年~30年を振り返る②」の方にこのレコーディングについてのことを詳しく載せてあります。☛祝!XJapanメジャーデビュー30周年~XJapanのメジャーデビューからの30年間を振り返る~②

 

XのメジャーデビューアルバムBLUE  BLOOD」

(出典:YouTube)

 

↓「BLUE  BLOOD」の制作直後レコーディングについてをHIDEとYoshikiが話している映像。レコーディングしている最中で、’88年3月16日渋谷公会堂ライブのチケットが発売され、わずか2時間で売り切れた。

(出典:YouTube)

【関連】「Yoshikiとhideの強い愛の絆」もどうぞYoshikiとHIDEの親子のように強い愛の絆

1988年3月16日渋谷公会堂ライブで来場したファンに無料配布されたビデオ。インディーズ時代にⅩをサポートし続けてくれたファンのおかげでメジャーデビューできたことの「感謝」をこめて作られた。

HIDEが大蛇を首に巻き、TAIJIはハーレーダビッドソンに乗っている。この時、TAIJIは二輪の免許をもってなかったようだが。( ´艸`)

(出典:YouTube)

デビュー後、Xはアルバム「BLUE  BLOOD」のプロモーションもあって、あちこちテレビに出まくっていた。静岡放送局に出演した時のXのスタジオ生ライブ。デビュー直後にすでに凄い人気で、TOSHIが客席にダイブしたら大混乱になった。

 TOSHI 「静岡の名物新茶のような爽やかなノリで行け!」

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観客が大興奮!これがXのスタジオ生ライブだ~!!

(出典:YouTube)

(出典:YouTube)

メジャーデビュー後、大人気バンドになっていったX(X Japan)

Xは1989年4月のデビュー直後からものすごい勢いでスターダムを駆け上がって行く。 

1989年の10月頃に「爆風スランプのお店」という土曜日のゴールデンタイムにやってた番組に出演した時のXJapan(この時は、X)のメンバー。

この頃には、かなり注目されて人気が出ていた。

30年前と思えないほど、カッコイイXのメンバー。HIDE、Taijiの存在感が強く感じられる。カメラが至近距離、しかも珍しく下からのアングルで撮っているため臨場感たっぷり。

(出典:YouTube)

↓1989~90年のXのライブの総集編。Xが成功をつかんでいく軌跡を見ることができる。とにかく、かっこいいXの全盛時代。こんなかっこいいバンドはXの他に存在しなかった。

2:42~回転しながらベースを弾くTaiji。

そしてTaijiとHIDEが並んで飛びながら演奏しているシーンを見ると、この2人がいかにステージでのパフォーマンスに力を注いでいたかわかる。この裏にどれだけの努力があったのだろう。

(出典:YouTube)

この動画では、3rdアルバム「Jealousy」が出た後にHIDEがテレビ番組に出演し、デビュー前からこれまで(1991年7月の初東京ドーム公演後まで)を振り返っている。  

インディーズのX時代にメンバーがお金がないながらもいろいろやりながらバンド活動した話、アルバムのレコーディングの話などをHIDEが楽しそうに懐かしそうに話している。

Xの曲の中でもhideにとって特に「紅」が思い出深い曲だと言っている。お蔵入りになっていた「紅」をHIDEがTaijiと2人でアレンジし、Xを有名にしたわけだから

https://youtu.be/4st5fp_wOB4

(出典:YouTube)

↓下の映像はTaijiが脱退した直後の1992年頃のものだが、3人でデビュー前のことを楽しそうに話している。

Xのインディーズ時代のエピソードをYoshiki、TOSHI、HIDEの3人が振り返っている。無料配布したビデオ「X CLAMATION」の制作秘話、全員でバンドの運営費を調達した話など聴けて面白い。

(出典:YouTube)

↓ファンがXの頃のXjapanの画像を編集し製作された映像。まるで、Ⅹ時代のアルバムのよう。

(出典:YouTube)

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