親愛なるTaijiこと、沢田泰司を偲んで・・・
7月17日は、Taijiの命日。
この日にTaijiに起きた出来事を考えると辛くなってしまうので、私はあえてTaijiが亡くなった時の出来事をこのサイトで書きたくない。
それよりもTaijiがどれほど素晴らしいベーシストだったのか、どんな人間だったのかをできる限り多く書いて、みんなに伝えたい。Taijiがどんな人だったかを知れば知るほどTaijiのことが好きになって、たくさんの人がTaijiの魅力にハマっていくだろう。
X時代、CBSソニーのプロデューサーだった津田直士さんが今年の命日に『Taijiへの手紙』を書いてくれていた。
この前なんか、「BLUE BLOOD」が出て30年の記念だったからさ、色々思い出してて、TAIJIは、目線と心にほとんどギャップのない男だった、って書いたよ。
意味わかんないでしょ、TAIJIには。
(https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar1787988 より引用)
Taijiと昔、仕事をしたことがあるユッキーさんという人のブログにTaijiがどんな人だったかが書かれている。彼はTaijiを身近に感じられるような内容を書いてくれている。
「巨匠、逝く・・・元XのTaiji」
(一部省略)
追悼の念を込めて、僕なりにTAIJIについて書きたいとおもいます。
TAIJIと最初に出会ったのは、まだ、Jealousyのデモテープを世田谷にあるタッドポールというスタジオで製作している時でした。
その頃は、Toshiのボーカルを入れる事が多かったのですが、TAIJIが”Deparate Anngel”のベースの取り直しでスタジオに来たのが、彼との最初の出会いでした。
TAIJIは、ロッカーらしく、とてもカッコいい!!って感じのスタイルだったのですが、物静かで、最初は人見知りというか、彼とまともに会話ができたのは、しばらくたってからでした。でも、慣れると、とても気さくで、直ぐに友達になりました。
(中略)
ロスでレコーディングに来た時に再会をして、それから1年はTAIJI(Xのメンバー)と寝食をともにしました。TAIJIはストイックな位、誰よりもベースの練習を欠かせませんでした。
その、結果は明らかでした。メンバー全員のレコーディングで一番、録りが早かったのがTAIJIでした。
YOSHIKIが一番長く、一曲録るのに、最低24時間ぶっ通し、48時間を越えるのは普通でした。
しかし、TAJIは早いと2時間以内で1曲完成してしまいます。ただ、音だしの準備は長いのですが。。。。
その時のエンジニアのリチャードもいつも、TAJIの演奏をきいて
HE IS SMOKING!!!
と絶賛していました。
この意味は演奏がすばらしく、火が出るような熱いくらいの演奏をする時の絶賛の意味を込めての表現です。確かに、TAIJIのベースはハッキリいって、天才的でした。
TAIJIは、アーティストとしての一面を強く持ちながら、彼は、天才ミュージシャンでした。
僕も、沢山のミュージシャンを見てきましたが、TAIJIのレベルは世界でも十分通用する位のレベルでした。
ギターの演奏も素晴らしく、彼は、生まれながらのミュージシャンでした。
(中略)
Jealousyのレコーディングも終盤に差し掛かったころ、僕とTAIJIはすっかり仲良くなってました。
TAIJIはいつも、僕の車に送迎で乗って来るようになりました。
そんなある時、TAIJIとカーステでバン・へーレンのPANAMAという曲を聴いて、TAIJIが、ベースとドラムの音を絶賛していたのが、今でも忘れられません。二人で音量をあげて、頭をガンガンふりながら
大声でこの歌を歌いました。(笑)
TAIJIは色々なバンドに移りましたが、これは僕の解釈ですが、TAIJIはとても自由な人でした。
色々と試すがのが好きでした。
後、人が良いというか、本質的にすごくやさしかったので、自分が作曲したものでも、他の人がアレンジしても、あまりゴタゴタいいませんでした。。。。。。
ただ、本人は納得いってなかったのですが。。。。。
ひとつの例として、Desparate Angel がそうでした。。。。。
この曲は、デモの段階では、シンプルでストレートな、TAIJIらしい楽曲のハードロックでした。
ところが。。。。。
Toshiのボーカルの先生で、ロジャー・ラブという人がいたのですが、その人が、ボーカルのアレンジを始めた頃から、この曲が変な方向に行き始めました。
シンプルな曲がToshiのアカペラ(ロジャー仕込)ですっかりポップな曲になってしまったのです。
人がいいTAIJIは表では何も言ってませんでしたが、僕と二人になった時は心の内を明かしてくれました。
(中略)
そのご、僕が1997年に結婚した時にTAIJIは、電報を打ってくれました。
実はそれもあるのですが、僕の奥さんはTAIJIが大好きで、TAIJIという名前も好きでした。で、その大好きなTAIJIの名前を貰い、僕たちの息子の名前も
泰司
という名前にしたのです。これ、本当です。
TAIJIが亡くなったのは、正直ショックでした。
しかも、自殺ですから。。。。
HIDEの時も勿論そうでしたが。。。。。
また、大切な戦友が亡くなった様な感じなのです。。。。
(中略)
彼は、本当に巨匠です。色々なその道のミュージシャンはTAIJIを絶賛しています。
でも、僕には友人を亡くした悲しみの方が強いのです。。。。。でも、TAIJIとの思いでは僕の中で永遠に生き続けていきます。。。。
実は、色々と事情があり、ここに書けないエピソードが一杯あります。プライバシーもありますし。
でも、その全てが今となっては、誰も触れる事のできない、僕にとっての宝物です。
TAIJIも本当に自由になれて今は天国で笑っているでしょう。
沢山の思い出をありがとう。。。。
(「ユッキーのブログ」より ameblo.jp/jogawaau/entry-0962269304.html)
1997年と言えば、Taijiが放浪した頃だ。そんな時もTaijiは友人の結婚を祝って電報を打っていたのだ。
この1年くらい、このサイトでTaijiの記事を書くためにTaijiについての事をずっとインターネットで調べていたら、Taijiとの思い出をブログに書いている音楽仲間や、Taijiに世話になった後輩がとても多いことに気づいた。
晩年にTaijiが一緒にバンドを組んでいた”Taiji with Heavens”のボーカリストのDAIさん、ギタリストのRyutaroさんや、DTRの頃からTaijiとつながりがあって一緒に音風で活動してTaijiを支えていたゴンさん、TaijiとTSPを組んでライブ活動をしたTaijiの親友SHUさんなどTaijiには多くの音楽仲間がいた。
👇TAIJI with HEAVENS Greeting to korean fans
Taiji with HEAVENSは2011年3月に韓国でライブする予定だったが、東日本大震災のためにキャンセルになってしまった。この動画は、その前の2011年2月に韓国のファンに向けて撮影されたもの。
(出典:YouTube)
この動画で正面から見てTaijiの右にいるのがTAIJI with HEAVENSのボーカリストのDAIさん。DAIさんは、2005年にTaijiに出会い、Taijiと共にTAIJI with HEAVENS で活動し、日産スタジアムの時もずっとTaijiに連れ添っていてくれてた。
(出典:YouTube)
X(X JAPAN)を一番愛していたTaiji
そして、もちろん、XJapanのYoshikiやTOSHIもTaijiの大切な盟友だ。X時代には6年位の間、家族のように一緒に戦って過ごした仲間だ。
Taijiのブログで、”盟友”YoshikiとTOSHIと再会して酒を酌み交わした夜の話が載っている。ブログには「友達っていいよな」とTaijiの素直な気持ちが書かれていた。
そういう経験をしながらTaijiは真っ直ぐな心で多くの人々を魅了し、ロックにひたむきに生きていた。だからこそTaijiは並の人間では到底できないような素晴らしい音楽を創り、神がかったプレイをするベーシストとしての優れた才能を発揮し、天才的なミュージシャンとして活躍できたのだ。その輝かしい活躍の陰には想像を超える努力があったのだろう。
それゆえにTaijiの音楽は美しく、人の心を打つものだし、彼のベースやギターの演奏は人の心を震わせるような感動を与えられる力を持っている。
Taijiが精一杯生きてきた証を、私達はTaijiのベースプレイや音楽の中で聴いたり感じることができる。
👇XJapanの屋台骨をデビュー前から支えて華やかなベーシストとしてステージを舞っている、Taiji tribute動画。
(出典:YouTube)
👇Taijiの笑顔がたくさん見られる映像。
テクニカルでカッコ良くセクシーで華のあるベーシストだった、Taiji。
(出典:YouTube)
👇雑誌の座談会でメンバー1人1人について思う事を他のメンバーが話す様子を動画にしたもの。TaijiがX(X Japan)の中でかなり重要な存在だったことがよくわかる。
(出典:YouTube)
👇「Voiceless Screaming」のX(XJapan)のステージでの最後の演奏。日産スタジアムの時にこの曲を聴きたかった人が多いだろう。
(出典:YouTube)
👇「Voiceless Screaming」のD.T.Rバージョン。
D.T.Rのボーカル竹内光雄が歌っている。Taijiは「Voiceless Screaming」を何度かアレンジし、演奏していた。
(出典:YouTube)
👇Taijiこと、沢田泰司の名場面集のような、Taijiのかっこいい映像を集めた動画。
(出典:YouTube)
PART2の動画の後半5:00~5:15のXの弦楽器隊3人が仲良くならんでHIDEがTaijiの耳のそばで何かをささやいているシーンが大好き💖🥰👍
▼「Rain Song」
Taijiがたった一人孤独に放浪していた頃の気持ちを歌った曲。Taijiの心の叫びが聴こえるよう。「生きて生きて、そう生きて・・」というTaijiの叫びに熱い気持ちがこもっている。
(出典:YouTube)
▼「WINDS・・想いありがとう」
沢田泰司がファンへの愛と感謝の気持ちを表現した曲。Taijiの優しく穏やかな人柄が伝わってくる。Taijiのことを想いながら何度も聴いてしまう。
(出典:YouTube)
XのTaiji、ラウドネスの沢田泰司、D.T.RのTaiji・・・いろんなTaijiを見ていて、Taijiは本当に自分がやりたいことをやってたんだと思った。
👇第三期のラウドネスに所属していた頃のTaiji。川崎クラブチッタでのライブ。
曲は「EVERYONE LIES」。Taijiのベースソロに注目。晃さんのギターソロの後Taijiがスラップ奏法を華麗に披露してる。
(出典:YouTube)
それでも、やはりTaijiが一番愛したバンドはXだった。タイジは、大阪城ホールの公演後の打ち上げで「俺はこのバンド(X)で死にます!」と男泣きしながら言った。
(画像引用元:pinterest https://www.pinterest.com)
👇1990年、Xがアルバムの制作中に行われたFILM GIGSの時に無料で配布されたCD音源がYouTubeにアップされている。Toshlが司会進行をしていて、一番先にTaijiに話を振っている。会話を聞いてると、やっぱりTaijiとToshlの2人は仲が良かったんだと実感する。若い時のままのTaijiの声が聞けて嬉しい✨とても素直にToshlの質問に真っ直ぐに答えているTaijiが愛おしい💖🥰
(出典:Youtube)
ロック界に名を残すような体感をできて光栄に思っています。
今日ぼくはX JAPANのライブに出演してきました。
メンバーの多大なる愛情の元、俺はその場に復活することができたんだ。
皆いい顔してたなぁ 君たちも含めて
胸がいっぱいで何も語れない
ありがとう TAIJI (2010/8/14のTaijiのブログ「再会の夜」より)
Taijiは今もHIDEとともにXJapanのステージにいる。
「オンベース、タイジ~!!」
Taiji forever!!We are X !!
1991年10月29日の”エクスタシーサミット”でのカッコイイTaijiの姿がずっと目に焼き付いている。28年前とは思えないほど鮮やかに・・・R.I.P Taiji。
最後に・・・Taijiからの一言
👇「Violence in Jealousy」ツアー終了直後の打ち上げでのXメンバー全員の挨拶。
5:12~HIDE→TOSHI→PATAの挨拶。PATAが話している横で、Taijiが「やべえマイクもねえ」とか言っているのに注目( ´艸`)。かなり話す前に緊張してるTaiji。
7:10~Taiji「ふつつか者の僕たちですが。。。俺だけか?」(Yoshikiをチラッと見て自分を指さす)Yoshiki「俺も( ´∀` )(笑)」YoshikiがTaijiの腕をペチッと叩く。このシーンがたまらなく好き。
Taiji「これからも頑張りますので、あたっあたた温かく見守っててください( ´艸`)
(出典:YouTube)
👇2019年11月11日XjapanのオフィシャルHPにアップされた「Silent Jearousy」のMV。
TaijiもHIDEも永遠にXjapanのメンバーだ。 We are X !!
(出典:YouTube)
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