(画像引用元:YOSHIKI Twitter)
破壊と再生を何度も繰り返してきたXJapan(X)がメジャーデビューするまで
Xを結成し、メンバーチェンジを繰り返しながらもファンを増やしていった、インディーズ時代のX
Xが1982年に結成してインディーズの時代を経てメジャーレーベルからデビューする前に100回くらいのメンバーチェンジをしてきたとYOSHIKIが話していた。
メンバーチェンジをする理由のほとんどは、YOSHIKIと他のメンバーとの意見が対立したためだったらしい。でも、YOSHIKIがバンドのリーダーだから、リーダーと対立してしまったら、メンバーの方がバンドを脱退せざるを得なかったのだろう。
👇YOSHIKI、TOSHI、JUN、Hikaruの4人のメンバーで「ねるとん紅鯨団」に出演した時の動画。
TOSHIの迫力が凄まじい。この頃、TOSHIは髪を金髪に染めたばかりだった。
「出山利三20歳、無職」と紹介されている( ´艸`)それが今では大物ロックシンガーですが。
その時代、「オルガズム」は、シングル盤のレコードでYOSHIKIが創ったレーベルである「エクスタシーレコ―ド」から第一号の商品として自主製作レコードとしてリリースされた。
その前に「I’ll kill you」を自主製作して出しているが、このレコード製作は、どこかのレーベルに発注したらしい。
高校時代のXは、学園祭で「I’ll kill you」を披露していた。
1982年にXを結成し、1983年高校の学園祭でライブを行った。
この時、YOSHIKIとTOSHIは高校2年生。
高校時代のTOSHIの地声のハイトーンボイスが凄い!MCもほぼ今と同じようにして、観客を煽っていた。
TOSHIが「先生、すみませんでした~!!」と先生に謝ってるのが可愛い♥
(出典:YOUTUBE)
👇これは、ⅩJapan(X)のメンバーチェンジの歴史をYouTubeにアップしてくれてた動画。
ものすごくたくさんのXのメンバーになっていたことがわかる。
ほとんどのメンバーがYOSIHKIと意見が食い違って、脱退していったそうだけど。
(出典:YOUTUBE)
ヘヴィメタル雑誌に載った時も「オルガズム」の宣伝をした。
「オルガズム」の発売当時のキャッチコピーは「このスピードに着いて来れるか!?」、「はっきり言ってこのEPは爆発的に売れてます!!」であったという。(Wikipediaより)
ただ、有名なヘビィメタル雑誌「BURRN!」の編集部員から低評価を食らったので、YOSHIKIは、これに対してかなり激怒した。そのため、YOSHIKIは「BURRN!」の編集部に抗議の手紙を送ったらしい。
そして、Xはインディーズの時代からJUN(ギタリスト)やHikaru(ベーシスト)といった凄腕メンバーがXに在籍していたこともXというバンドの成功した理由を知る上で大切なことだ。
YOSHIKI、TOSHIだけになったXにベーシストTAIJIが加わる
そして、メンバーチェンジが激しかったXの頃にTAIJIは一度、YOSHIKIに強引に誘われてXに加入したことがある。YOSHIKIは、ベーシストとして類まれなセンスを持ったTAIJIに惚れ込んで、TAIJIの引き抜きに猛烈なアタックをかけ続けてたらしい。
YOSHIKIが「天才たけしの元気の出るテレビ」に「日本一のヘビィメタル野郎」として出た頃、TAIJIはYOSHIKIとしばらく一緒に住んで、新しいメンバー探しを毎日していたらしい。
👇よくテレビのバラエティー番組に出演していたYOSHIKIとTOSHI。TAIJIも一緒に出ていたらしい。
(出典:YOUTUBE)
YOSHIKIとTAIJI、2人が同棲していた話は、時々、YOSHIKIが懐かしそうに話している。2人とも自己主張が強く、似ているところを持ってるだけにしょっちゅう喧嘩をしていたらしい。その話を聴いてる方のファンとしては、面白いし、微笑ましいし可愛い♥と思う。( ´艸`)
TAIJIが歯磨き粉やシャンプーのフタを使った後も締めないでそのままにしてためにYOSHIKIがTAIJIに激怒し、殴り合いの喧嘩にまでなったこともあったらしい。( ´艸`)
2010年、YOSHIKIとTAIJIがToshlの仲介で久しぶりに会った時にその歯磨き粉のフタを締めなかった話をYOSHIKIが話した時にTAIJIは、「そんなことをよく覚えているなぁ。」と驚いたらしい。それは、TAIJIが「再会の夜」の話としてTAIJIのブログに書いていた。
話を元に戻すが、TAIJIは自分がXに加入する代わりにその時のギタリストを辞めさせて、自分が連れてきたギタリストを入れることを条件にした。
そういう形でTAIJIはXに1985年に加入した。でも、TAIJIが連れてきたギタリストがすぐに辞めてしまい、TAIJI自身も自分のやりたい音楽性とXの方向性(厳密にいえばYOSHIKIが目指している方向性)とが合わなかっため、1985年の11月に一旦、Xを脱退した。
でも、そのちょうど1年後にTAIJIは偶然にYOSHIKIと再会して、飲みに行って意気投合し運命を感じたので、再びXに加わった。そして、1986年の12月のライブにはTAIJIが出演し新メンバーとして紹介された。
TAIJIの後にHIDE、PATAが加わり、Xのオリジナルメンバーになるまで
そして、その後、HIDEが自分のバンド、「横須賀サーベルタイガー」を解散して美容師としてやっていこうと決めていたところにYOSHIKIが声かけし、バンドの集まりに呼んでYOSHIKIが熱心にHIDEを誘い、HIDEのメンバー入りが決定。
その時、居酒屋でYOSHIKI、HIDE、TOSHI、TAIJIの4人で飲んでいたが、YOSHIKIがHIDEと2人で話している間、TOSHIとTAIJIは笑いもせずに黙って酒を飲んでいた。
HIDEが「俺、この2人(TOSHIとTAIJI)には歓迎されてないのかな?」と思ったらしい。
でも、HIDEが「俺もやるよ。(俺もXに入って一緒にやるよ)」と言って、HIDEがXに加入することが決まったとたん、その場にいたTOSHIとTAIJIは突然喜びだし、当時のXの定番だった扇形のポーズ(組体操)をやり始めたらしい。( ´艸`)
その後、PATAもこの時期には正式にではないが、臨時メンバーとして加入した。
PATAは、高校時代からYOSHIKIとTOSHIにコンテストで会って、面識があった。オムニバスで作られたアルバムにも参加している。以前はPATAのバンドにYOSHIKIが短期間だけドラマーとしてヘルプにはいったこともあり、PATAの方が自分のバンドにYOSHIKIを引き抜こうと思っていたらしい。
こうして、HIDEも加えて、5人のXのメンバーがそろった。
(画像引用元:YOSHIKI Twitter)
そして、1987年6月、「天才たけしの元気が出るテレビ」に出演。HIDEのXでの初仕事だ。
人気のない食堂、「やしろ食堂」という食堂に人を呼んで繁盛させるべくXのメンバー5人がこの食堂内でライブをやるというテレビの企画に参加した。
これが「やしろ食堂ライブ」と呼ばれる伝説のライブ。↑ 火を吹くTAIJIに注目。
TOSHIが「食えー」と言いながら、お客の周りをうろついてる。( ´艸`)面白い!TOSHI。そしてTOSHIが店の備品を破壊してライブは終了。
TOSHIが「すいませんm」と小声で謝ってる😊
(出典:YOUTUBE)
この「やしろ食堂ライブ」と同じ日に、Xのメンバー5人は館山へ移動し、TAIJIとPATAはTOSHIの実家へ、HIDEはYOSHIKIの実家に泊まり、翌日には館山商工会館でライブを行った。
館山商工会館でのライブは、1987年6月7日に行われた。
その際にYOSHIKIは「林さん」、TOSHIは「出山さん」というように司会の女の人に紹介されている😊「林さん、出山さんは、館山のご出身で。」と。
そして、メンバー全員が千葉県の出身というように紹介されているが、HIDEだけは神奈川県横須賀市の出身だ。ちなみに、TAIJIは市川市出身で、PATAは船橋市の出身。
(出典:YOUTUBE)
この後、YOSHIKI、TOSHI、HIDE、TAIJI、PATAの5人が不動のXのメンバーとなり、メジャーデビューへと向かっていく。
↓CBSソニーのオーディションで審査員を煽りまくるTOSHI(1987年12月)
この頃の無敵だったTOSHIのMCが凄まじい。
(出典:YOUTUBE)
↓Xのデビュー前に作られたメンバー紹介ビデオ動画。
YOSHIKIがこの頃から「天才」と紹介されている。TAIJIは本当はA型だけどB型になってる( ´艸`)
(出典:YOUTUBE)
※👇Xが破壊と再生を繰り返しながらⅩJapanになっていく歴史は、まだ続きがありますので、こちらもどうぞ!
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